気温40度近くの暑さの中、笑顔の人々は誰彼構わず水をかけあう。ミャンマーの旧正月にあたる4月中旬の5連休は水かけ祭り(ティンジャン)で国中が熱狂する。一方で国民の約9割が上座部仏教徒のミャンマーでは、おめでたい旧正月の間に功徳を積もうと、短期出家者が1年で一番多くなる時期だ。この国の男性は20歳になるまでに一度、1週間から1カ月ほど出家をする慣習がある。ミャンマーでインターンと留学をする筆者は、彼らとともに功徳を積もうと、3日間の出家生活を送った。だが意外にも生活のほとんどは自由な時間だった。
出家先となった僧院は、ヤンゴンの中心部から15キロメートルほど離れた場所にある。周りは森に囲まれ、鳥のさえずりとお経をあげる声のみが聞こえる。ミャンマーで第2位の人口を占めるシャン族の僧院であるため、出家者のほとんどはシャン族か、文化的な共通点の多いタイ人だ(シャンの語源はシャム=タイといわれる)。1年で一番多くの出家者を抱えるこの時期には、5人の常駐の僧侶と老人から子どもまで70人ほどの短期出家者が共に生活する。
得度式は剃髪から始まる。僧侶の慣れた剃刀さばきで3分ほどで丸刈りになると、仏壇の前で式が始まる。渡された茶色い袈裟(けさ)に着替えると常駐の僧侶の前で戒を復唱する。上座部仏教で最も重要な五戒(殺生しない・盗まない・不適切な性関係を結ばない・嘘をつかない・酒を飲まない)を受け、三宝(仏・法・僧)への帰依を約束して正式に僧侶になる。
この僧院では朝6時と10時半の食事以外は自由な時間だ。檀家が僧院にやってきて食事の支度をするので、よくミャンマーのイメージ写真にあるように、僧侶が外に出て列を作って托鉢をする必要もない。宿舎で集団生活する短期出家者はスマートフォンを使ったり、出家同士で雑談したりして1日を過ごす。
午後に食事をしない、袈裟を着用するなど、戒律さえ守っていれば何をしていてもいいのだ。固い寝台で横になってスマホをいじり、世俗の知人とメッセージを交換する出家者も多い。瞑想や読経などのスケジュールが組まれているわけではなく、瞑想などをしたい出家者が自主的に取り組むという形になっている。ただ、瞑想していた出家者はちらほらとしか見かけなかった。
筆者はタイ人以外で唯一の外国人だったので、特別に常駐の僧侶と2人での共同生活となった。その僧侶との会話に最も多くの時間を費やし、それ以外は瞑想や経典の暗唱、僧院内の掃除をして過ごした。その僧侶は7年前に俗世を離れ、この僧院で僧侶として生活しているという。正しい祈祷の仕方から経典や仏教説話まで、外国人の筆者にやさしいビルマ語で仏の教えを説いてくれた。「俗世は煩悩にまみれ、それらを人間の体はコントロールできていない。だから私たちはここで修行をして、煩悩から放たれた生活をするのだ」と語る。
筆者が体験した僧院は、比較的自由な環境だったが、ミャンマーには瞑想などの予定がびっしり詰まった修行をする僧院も多い。3日間の出家生活を終え、在家に戻る儀式の前にその僧侶はこんなことを言った。
「この国はパゴダ(仏塔)や僧院が国中に建てられ、仏教はとても盛えている。しかし同時に人々にとって仏教が当たり前のものとなり、信仰心が薄れて形ばかりのものになってきている。それはまるで金が大量に採れる国が、金に価値を感じないことのようだ」
仏教の教えを説く時とは違い、その声は悲しげだった。俗世に戻る筆者に上座部仏教の発展を託しているようにも感じられた。