“アフリカのベネチア”の異名をとる、アフリカ最大の水上集落がベナンにある。最大都市コトヌーからすぐに行けるガンビエだ。奴隷狩りから逃れた人たちが16世紀ごろに集まってできたこの集落には現在15人の船大工がいる。最年少のドスさん(自称20歳。正確な年齢は不明)は「ガンビエにはろくな仕事がない。3歳の息子にはここを出て、お金を稼いでほしい」と望む。
■学校に行ったことがない
ドスさんは人生で一度も学校に通ったことがない。きょうだい10人のうち、学校に行ったのは1人だけ。「その1人もすぐにやめた」。ドスさんは物心がついたころ漁師になり、15歳で船大工に転身した。
ガンビエで暮らす男性の多くは漁師だ。ドスさんが漁師をやめたのは「漁は好きではなかったし、得意でもなかった。食べていけなかったから」。父はもともと漁師で、いまは舟(カヌー)の燃料を売る仕事に就く。
舟の作り方をドスさんは、ナイジェリアに住むおじから5年前に教わった。「ガンビエにいる船大工15人のうち、僕は断トツで若いけど、舟を作るのは一番うまいと思うよ」。そう胸を張るドスさんは、舟を作る小さな工房を構える。二十歳にして、12歳の少年ら弟子を3人とる。
一見すると、生活は悪くないように映る。だが現実は厳しいようだ。妻と2人の幼子と暮らすドスさんは「乾季のいま(3月)は仕事も少ない。ここ1週間で作ったのは、中型の舟ひとつだけ。お金がなくて悲しい」と重い口を開く。仕事がないときは座ってノコウエ湖をボーっと眺める。時々、漁に行く。
■材木はナイジェリアで調達
ドスさんによると、舟の材料に使う鉄木は隣国のナイジェリアで調達する。半日かけて車で行き、買い付けた材木は船でガンビエへ送る。ちなみにパスポートはなくても国境を越えられるという。
ナイジェリア人との交渉は、西アフリカでメジャーな現地語のヨルバ語を使う。教育を受けていないドスさんは、ベナンの公用語のフランス語も、また英語も話せない。だがヨルバ語はわかる。「でもナイジェリア人はあまり好きじゃない。材木の価格をつり上げるし‥‥」
材木の購入費は、小さい舟(ふつうは3人乗り、地元の人だと6人乗れる)を作る場合は6万CFAフラン(約1万1500円)、中型の舟(同15人、40人)は10万CFAフラン(約1万9200円)ぐらい。これに、ガンビエへの運送費として材木1枚当たり5000CFAフラン(約960円)を払う。材木は30枚は必要なので、単純計算で運送費は15万CFAフラン(約2万8800円)以上になる。
これに、ナイジェリアまでの車代が1万CFAフラン(約1900円)かかる。木材以外で必要な塗料、ビニールシート(材木の隙間に入れる)、クギも買わなければいけない。舟の大きさにもよるが、ざっと計算して経費の総額はだいたい30万~40万CFAフラン(5万7600~7万6800円)だ。
「客からもらえるお金はだいたい60万CFA(約11万5000円)」(ドスさん)。売り上げから経費を引くと、1隻当たりの儲けは20万~30万CFAフラン(3万8400~5万7600円)となる。ただ「1カ月に5隻は作らないと生活できない。お金がない」とドスさんが繰り返し嘆いていたことから、儲けはもっと少ないと想像できる。
ただ、舟を作るのにかかる日数は意外と短い。小さなもので2日、中型でも6日だという。
■漁師・農家・船大工はダメ
人口およそ2万人といわれるガンビエにはかつて、数多くの船大工がいた。減った一番の要因は、舟の発注が少なくなったことだ。20代の若者はドスさんだけ。船大工の高齢化は進む一方だ。
ドスさんは「漁師たちも以前はお金をもっていた。だが漁師の数が増え、1人当たりの収入が減った。ガンビエの人(漁師)はお金をもっていない。舟は必要だけど、作れない」と状況を説明する。
ドスさんの願望は、生まれ育ったガンビエを出て、船大工以外の仕事をすること。「お金が必要だから。でも自分は何ができるのか。舟を作るか、漁しかできない。フランス語が話せないから、他に何もできない」。悩みは深い。
昔からの友人の何人かはガンビエを去った。コトヌーで電気工事の仕事をする人もいる。ただそれは少数派。「学校へ通っていた近所の友だちもいた。だが彼らは漁師や舟の燃料を売る仕事をしている」
自分の人生はすでに諦めモードだとしても、3歳の息子には大きな期待を寄せるドスさん。「教育がないと、僕のように、人生に大きな制限ができてしまう。絶対に学校に行ってほしい。できれば大学にも。言葉を学んでほしい。将来はガンビエを出て、お金が入る仕事に就いてほしい。ダメな仕事は、漁師、農家、そして船大工」
コトヌーの猛烈な暑さとは違って、湖の風が涼しいガンビエ。だがドスさんによれば、ガンビエで暮らす大半の人は環境が良いこの水上集落を離れ、お金や仕事がある陸地(コトヌー)に上がりたがっているという。「どんなに暑くてもいい。お金が必要なんだ」。お金という言葉をドスさんは最後まで繰り返した。