アフリカ北東部のスーダンで30年独裁を続けたバシル大統領が追放されたことを受け、国際協力NGOの日本国際ボランティアセンター(JVC)は4月25日、スーダン情勢緊急報告会を都内で開催した。報告会には、スーダン出身で学習院大学のモハメド・アブディン特別客員教授が登壇。「民政移管を早急に進めるのは危険。経済危機にも対処できる民政基盤を築いたうえでなければ、『アラブの春』(アラブで波及した民主化運動)の失敗を繰り返すことになる」との見方を示した。
■民主化求めるデモは4カ月
バシル大統領を失脚させたのは、物価の高騰に不満をもった市民らが全国規模で4カ月もデモを続けたことだ。事態を重くみた軍部はバシル大統領を解任。ところがデモはその後も続く。暫定政権として、軍主導の暫定評議会が設置されたためだ。アブディン氏は「これでは前の政権と同じ。国民は文民評議会を切望する」と代弁する。
デモ隊は暫定軍事評議会と交渉を続け、4月27日には軍民合同統治評議会を設置するとの合意を取り付けた。今後は、合同評議会の構成メンバーに占める軍人と民間人の比率が議論の焦点となる。
■軍と国民の思惑が一致
バシル政権崩壊の危機は実はこれまでも何度かあった。だがなんとか持ちこたえてきた。政権が今回倒れた決め手としてアブディン氏は2つのポイントを挙げる。
1つめは、軍と大統領の関係が崩れたこと。バシル大統領はかねて、緊急支援部隊(RSF)を設置し、反政府デモを弾圧してきた。だが今回のデモでは、RSF内でも、度重なる弾圧に「やりすぎだ」と反発する勢力が拡大。また、ダルフール紛争の大虐殺にかかわったとして、国際刑事裁判所(ICC)が2009年にバシル大統領に逮捕状を出していることも、国際社会の圧力を少しでも跳ね返したいRSFがバシル大統領を見限る要因となった。
2つめはデモを主導するグループの存在だ。今回のデモは、エリート集団であるスーダン専門職組合(SPA)が指揮したことで組織化。政府の弾圧にも対抗できるようになった。
軍の思惑と国民の怒りが重なった形で、バシル政権は倒れた。今後は、民主化を求める国民と、本音では軍政を維持したい軍の戦いへとシフトするとの見方が濃厚だ。
■民主化=安定ではない
軍政から民政へは一朝一夕には変わらない。必要な移行期間について、暫定軍事評議会は「2年はかかるだろう」と主張する。これに対して、デモ隊を率いるSPAは「(その倍の)4年は必要」との立場だ。ユニークなのは、民政化を切望する側が逆に長い移行期間を見込んでいることだ。
この理由についてアブディン氏は、ミャンマーのケースを例に解説する。ミャンマーでは2011年、軍政から民政へ変わり、2016年からは、民主化の旗手・アウンサンスーチー氏率いる政党「国民民主連盟」(NLD)が政権に就く。だが依然として、国会議員の4分の1を軍が指名するほか、主要閣僚ポストも軍が握ったままだ。
アブディン氏は「民主化を一気に進めると、軍の反発を受けて頓挫してしまう。ゆっくりとした民政移管のほうが現実的。民主化=安定でない」と語る。
スーダンで、民主化が頓挫したアラブの春の二の舞にならないための鍵は、文民政権を運営できる指導者の存在だ。アブディン氏は「野党勢力は分裂していて期待できない。スーダン出身の国際機関の職員などテクノクラート(高度の専門知識をもつ行政官)が指導者になる可能性もある。ただ今はそれさえも不透明だ」と表情を曇らせる。
■石油収入4分の1に
今回の政変が起きる直接の引き金となったのは、パンの値段が3倍に上がるなど、庶民生活に打撃を与えたインフレだ。
スーダン経済が疲弊する第一の要因は、石油収入の減少。南スーダンが2011年に分離独立したことで、スーダンは油田の多くを失った。日本の外務省によると、スーダンの石油関連製品の輸出額はおよそ4分の1に減った。国家歳入は約120億スーダンポンド(約1940億円)も減少したという。
第二の要因は、国際機関から融資を受けられないこと。オサマ・ビンラディンやカルロス・ザ・ジャッカルなど国際テロリストの潜伏を受け入れたスーダンは、米国から「テロ支援国家」に指定されているためだ。
スーダンが抱える対外債務はすでに500億ドル(約5兆5800億円)超に上る。アブディン氏は「経済の立て直しには、石油に代わる新たな収入源が必要だ。スーダンでは金がとれる。でも多くは密輸されているため、国家の収入にならない。新政権では金の密輸を取り締まり、経済危機を克服すべき」との考えを示した。
1956年に独立したスーダンで、民衆蜂起により政権が打倒されたのは今回が3度目。ただいずれも後に軍政に戻っている。