15歳で政治犯にされたミャンマー人がNGO設立、味わった不条理を原動力に国を変えたい!

少年院での経験を語るチャンダーチョーさん(ミャンマー・ヤンゴンで撮影)

「少年院の大人たちは、少年からお金を巻き上げるんだ」。ミャンマーの最大都市ヤンゴンで民主化運動に身を捧げるチャンダーチョーさん(32)は強い口調でこう語る。2003年に反政府デモに参加した際、15歳で逮捕され、政治犯となった。出所後は、ずさんな裁判と少年院で受けた不条理な経験を原動力に、市民の政治参加を促すNGO「パンディタ」を設立。ミャンマーの人々に真の民主主義を学ぶ機会を提供している。

■少年院ではいじめが横行

チャンダーチョーさんがまだ高校生だった2003年。民主化運動のリーダー・アウンサンスーチー氏と支持者らが民主化キャンペーン中に暴漢の襲撃を受け、その混乱のなかで多数の支持者が逮捕されるディベイン事件が起きた。それを見ていたチャンダーチョーさんは「不当逮捕だ」と、支持者の解放を求めるデモに参加するように。ところが警官隊はこのデモも鎮圧。チャンダーチョーさんは警官に石を投げたとして公務執行妨害の疑いで逮捕されてしまった。

「投石してない。無実だ」。こう訴えるチャンダーチョーさんの主張は完璧に無視された。ミャンマーの少年法に反してチャンダーチョーさんは裁判中も拘束され、裁判では弁護士を立てることも、証人を呼ぶことも許されなかった。検察側が用意した目撃者の一部は事件現場にすらいなかったという。

チャンダーチョーさんには有罪判決が下った。ヤンゴン近郊の少年院に1年収容。このとき国際人権団体のアジア人権委員会はミャンマー当局に対し、チャンダーチョーさんらの解放を求める声明を発表した。

「少年院はとにかく人と設備が不足していてひどい有様だった」(チャンダーチョーさん)。トイレやシャワーの水はまともに出ない。肉を食べられるのは週2回。矯正教育施設とは名ばかりで、院内では少年同士のいじめが横行していた。看守は少年たちにしばしば賄賂を要求した。

■民主化は時間がかかる

「ミャンマーの腐敗したシステムを変えたい」。チャンダーチョーさんは出所後、米国大使館が運営するアメリカンセンターで英語を勉強するかたわら、民主主義の考え方も学んだ。マンダレー大学も卒業した。

2011年に民主主義を広める目的でパンディタを設立。当初は、民主活動家などがミーティングやワークショップをするスペースを提供していた。スーチー氏が党首を務める国民民主連盟(NLD)が2016年に政権に就いてからは、政治家や官僚、ジャーナリスト、市民らが社会問題や政策について議論するイベントを開くなど、活動の幅を広げていく。フェイスブックやメールマガジンなどで一般向けの情報も発信する。フェイスブックページにはすでに33万人のフォロワーがいる。

ミャンマーを変えたいと繰り返すチャンダーチョーさん。だが自身が政治家になる意思はない。「政治家は甘い言葉を使って民衆を惹きつける。民族対立や貧困など課題だらけのこの国で、そんなことをする能力も勇気も私にはない」。在野の活動家として運動を続けていきたいという。

ミャンマーは民主主義の歴史が浅い。民主主義について市民が学ぶ機会も足りない。チャンダーチョーさんは「このままでは市民は政治から遠ざかっていく。かつてのように“一部の人間”だけが得をする政治に戻る可能性がある。そうなると、一部の人間になれなかった誰かが、自分のような不条理を味わうかもしれない。そうならないためにも市民が政治への参加意識をもつべき」と話す。

2015年の総選挙でNLDが大勝し、歴史的な政権交代を果たしてから4年。半世紀近く続いた圧政から放たれ、国民は国中で熱狂した。NLDへの支持は依然大きい。だがチャンダーチョーさんは冷静だ。「民主化とはある日突然達成されるものではない。徐々に実現していくもの」。多感な青春時代に不条理な経験を味わったチャンダーチョーさんだからこそわかる、“本当の民主化”までの長い道のりをその目は見据えていた。

NGO「パンディタ」の共同設立者であるチャンダーチョーさん(右)とエーカインさん(左)

NGO「パンディタ」の共同設立者であるチャンダーチョーさん(右)とエーカインさん(左)