ミャンマー人労働者が8割以上のタイのツナ缶工場、「奴隷労働」を変えたのはひとりの男だった

ミャンマー人労働者の権利を保護するNGO「マイグラント・ワーカズ・ライツ・ネットワーク (MWRN)」のザンソウハタイク副代表。ミャンマー人が集まるタイ中部のマハチャイのオフィスで撮影

タイのバンコク中心部から車で1時間。ミャンマー人労働者が8割以上を占める、サムットサコーン県マハチャイにあるツナ缶工場の労働環境を劇的に改善させた男がいる。ミャンマー南部のタニンダーリ管区ダウェイから2006年に出稼ぎ労働者としてマハチャイに来たザンソウハタイクさん(33歳)だ。ハタイクさんは現在、ミャンマー人労働者の権利を保護するNGO「マイグラント・ワーカズ・ライツ・ネットワーク (MWRN)」の副代表を務める。

■24時間労働はざら

「僕が働いていたツナ缶工場は、週1の休日も強制出勤。逆らうことができなかった」。ハタイクさんは当時、平日は朝7時から深夜2時まで1日19時間(休憩2時間)、週末は土曜朝7時から日曜朝7時まで24時間働いていた。1週間に110時間以上。月給はわずか8000バーツ(現在のレートで約2万8000円)だった。

給料は、ミャンマー人が時給制(1時間16バーツ=現在のレートで約56円)だったのに対し、タイ人は日給制。またタイの労働法は、残業や休日出勤の場合、時給は2倍になると定める。ところがミャンマー人の残業・休日出勤は同じく16バーツのまま。ちなみにタイ人が残業・休日出勤すると時給は20バーツ(同約70円)だった。

ハタイクさんが働いていたツナ缶工場に当時ミャンマー人が1400人いた。ハタイクさんを含め誰ひとり、会社に逆らうことはしなかった。「タイ語も分からなかったし、何より会社に逆らって職を失い、ミャンマーの両親に仕送りができなくなるのが怖かったんだ」とハタイクさんは話す。

世界でも有数の水産物輸出国のタイ。2014年の水産加工品の輸出高は約6984億円。ベトナム、ノルウェー、中国に次ぐ世界4位だった。2017年時点でも、その巨大産業を支えているのは60万人以上の労働者で、この半分以上の30万2000人がミャンマーをはじめとする移民労働者だ。

■時給は2.5倍に!?

2015年7月5日、ハタイクさんはツナ缶工場の違法労働の数々をMWRNに報告した。工場で働き始めてから9年目のことだ。この報告書をMWRNがタイ・ツナ産業協会(TTIA)とタイ政府に提出したことをきっかけに、ミャンマー人労働者の権利を守る法律が見直された。これを受けて2016年2月、ツナ缶工場の労働環境が劇的に変わった。

給料は時給制から日給制になった。基本の勤務時間は朝8時から夕方5時の8時間。日当は、マハチャイがあるサムットサコーン県の最低賃金と同じ325バーツ(約1143円)。以前は19時間働いて、1日換算で300バーツ(約1055円)だったので、時給で計算すると2.5倍に増えたことになる。

これまでに払われなかった差額分も全額、ミャンマー人労働者に支給された。また週1日の休日も保証され、残業・休日出勤の時給も労働法に則り、支払われるようになった。

■「立ち上がれ」

たったひとりの労働者の声では現状は変わらない。そう考えたハタイクさんは報告書を提出する前、ミャンマー人労働者たちを説得し続けた。

説得する際、MWRNから手に入れた、労働者の権利を記載した本を配り、「僕たちにはこんなにも権利があるんだ」とミャンマー人の同僚に訴えた。

7カ月にわたる説得の末、15人のミャンマー人労働者が共に立ち上がり、報告書を作成し、MWRNに提出するに至った。ハタイクさんが工場で働き始めてからこれまで、誰ひとり声をあげなかったにもかかわらずだ。

「ひとりで始めるのは怖くて仕方がなかったよ。けど誰も代わりには闘ってくれない。自分が立ち上がらなければ現状は何も変わらなかったんだ。ただ同僚たちと報告書を出した後、もう恐れはなくなっていたよ」。当時を思い返し、ハタイクさんはゆっくりと言葉を紡いだ。

それから1年後の2017年、会社からの圧力を受けハタイクさんはツナ缶工場を辞めた。

現在はMWRNの副代表として、ミャンマー人労働者の保護を目的に、TTIAと協力し、労働状況の聞き取り調査や、労働者向けのワークショップを行っている。「ひとりでも多くのミャンマー人労働者に耳を傾けたい」。ハタイクさんがミャンマー人労働者の権利を求め続ける姿勢は、工場にいようとMWRNにいようと変わることはない。