タイ・バンコクにある高架鉄道(BTS)ナナ駅から徒歩10分。アラブ人街に、客の9割がケバブを注文する店がある。イラク料理の「イラク・レストラン・バンコク」だ。1日300本売れる本場のケバブ、アラブとタイのハイブリッドを感じるあたたかい雰囲気がこの店の最大の魅力だ。2代目経営者で、イラク系タイ人のアナン・コシサギさん(26)は「アラブ人街で本場のうまいケバブを食えるのはうちだけだ。他の店はスパイスを入れすぎだよ」と話す。
■これがケバブだ
「ケバブには無駄なスパイスは入れない。それがケバブの発祥、イラクスタイルだ。他の店では味わえないよ」。イラク・レストラン・バンコクのケバブは、ビーフとチキンの2種類。ビーフが圧倒的に人気で1日100キログラムの牛肉を消費する。原料は、肉、小麦粉、塩といたってシンプル。ただし秘密のスパイスを少量。食感はハンバーグに近く、「これがめちゃめちゃうまいんだ」(バンコク在住の日本人)。
ケバブは1セット240バーツ(約850円)。ふっくらジューシーなケバブが2本。これに加え、こんがり焼きトマト、自家製のピクルス、ナン(またはコメ)がつく。
客の9割がこのケバブセットを注文する。この店にやってくるのは、タイ在住のアラブ人とアラブからの観光客がほとんどだ。「アラブ人たちはイラクのケバブが大好き。ここに来ると、故郷おふくろの味を思い出す」とアナンさんは言う。またヨーロッパ人や中国人、日本人からも人気だ。
6月〜9月中旬は繁忙期。毎日300人以上、特に夕方4時から深夜0時までは、ひっきりなしに客が来る(営業時間は朝8時〜朝4時)。ケバブは1日に300本、売り上げは1日8万~12万バーツ(28万4000~42万6000円)にも上る。またイラン大使館やタイ大使館から200〜300本単位で、注文が入ることもあり、その際は店を閉め、店の外でひたすらケバブを焼く。
■俺たちは家族
イラク系タイ人家族と従業員のタイ人が作るアットホームな雰囲気はこの店ならでは。30年前(1989年)、1代目のアブドラさん(アナンさんの父)がオープンさせ、アラブ人街でも随一の老舗だ。
現在はアブドラさんと息子のアインさんを軸に家族8人で店を動かす。また従業員のタイ人は12人。全員5年以上働いていて、中でもワラさんは10年以上の古株。アラブ人街でもちょっとした有名人だ。
アナンさんは「この店は家族愛で続いてきた。従業員のタイ人も含めてだ。血は繋がってなくても大好きだし、風邪を引いた時は病院まで車で連れて行く。ホンダの車でね。彼らが金銭的に困った時は給料も早めに出す。家族ってそういうものだろ」と従業員に対する思いを語る。
店はまもなく、アブドラさんからアナンさんに引き継がれる。ただアインさんには客室乗務員になるという夢があり、店を継ぐことへの葛藤がある。
「家族もこの店も愛している。けど俺は、飛行機に乗ってたくさんの人を連れて、世界中に行きたいんだ」。アナンさんはバンコク大学の航空ビジネス科を卒業。現在は店を切り盛りするかたわら、言語の習得に励む。すでにタイ語、ペルシア語、アラビア語、英語を操る。
「店を継ぐか夢を追うかはまだ分からない。それでも家族全員でこの店を残していきたい。父のふるさと、イラクのナジャブにも店をオープンしたいと家族で話しているよ」(アナンさん)