トイレ掃除を通して劣悪なトイレ環境を改善しようとするNGOがミャンマー・ヤンゴンにある。「Thant Sin Metta(タンシンメッタ)」だ。メインの活動は、学校で「用を足した後に手を洗うこと」と「トイレ掃除を習慣化させること」。汚いトイレに起因して下痢になる子どもが多いミャンマーで、トイレをきれいにすることは子どもの命を守ることにつながる。この活動の原点になっているのが、日本のトイレ掃除だ。
■日本人が立ち上げ
タンシンメッタとは、ミャンマー語で「掃除(タンシン)」と「やさしさ(メッタ)という意味。掃除にフォーカスするこのNGOを設立したのは、元在ミャンマー・シンガポール大使夫人で日本人の吉田尚代さん。吉田さんはミャンマーの学校のトイレが汚いことを知り、日本のトイレ掃除の習慣を役立てようと考えた。
吉田さんの子どもとたまたま同じインターナショナルスクールに通っていたのが、現代表でミャンマー人医師(専門は公衆衛生)のジーメンさんの子どもだ。吉田さんとジーメンさんがタッグを組み、タンシンメッタは活動を広げていく。
ジーメンさんには衝撃的な出来事があるという。タンシンメッタの活動で、ヤンゴンの日本人学校を訪問したときのこと。日本人の生徒がジーメンさんに「トイレはいつも一番きれいな場所!」と言ったのだ。「ミャンマー人が一番忌み嫌う場所が、日本では掃除の習慣で真逆の価値観でとらえられていた。この考え方はぜひミャンマーで広めなければ、と思った」(ジーメンさん)
■2.7%が下痢で命を落とす
タンシンメッタの活動先はヤンゴン市内の小学校から大学まで。それぞれの年齢に合わせた内容を考え、公衆衛生の意識を醸成する。
小学生にはトイレの適切な使い方を伝える。使用後は排せつ物を流す、手を洗うといった内容だ。「トイレソング」や「手洗いダンス」で楽しませることも忘れない。中学生には自分が使ったトイレが汚ければ掃除するよう、高校生には当番制で学校全体のトイレを掃除するよう促す。
ジーメンさんは「排せつした後に汚物を流さなかったり、トイレを使った後に手を洗わなかったりする子どもは少なくない。下痢になる一因が不適切なトイレの使用方法だ」と説明する。世界保健機関(WHO)の2017年の調査をみても、ミャンマー人の2.73%が下痢で死亡している。
ミャンマーの学校に「当番で掃除をする」という文化はない。どの掃除道具を使えば良いかアドバイスをして自分たちで購入させると、責任感が生まれるという。「下級生のお手本になるように」と諭して意識を高めるのだ。
■トイレ掃除は月1回?
トイレの掃除活動の中心に子どもを据える理由は2つある。1つめは下痢で命を落とす子どもをなくしたいという目的、もう1つは子どもを通して大人の低い公衆衛生意識を変えることだ。
ジーメンさんが最も危惧する問題はトイレ掃除に対する意識の低さ。ミャンマーでは昔からトイレ掃除は“社会的地位が低い仕事”という認識が強い。そのためやりたがらない人がほとんどだ。トイレ掃除は月1回だけという家庭もある。家や学校のトイレが汚れていても放置されたままだ。
「親世代はトイレ掃除をひどく敬遠する。そんな大人の意識を変えるのは難しい。そこで学校で子どもに教え、子どもから大人にアプローチさせることで、大人の意識改革につなげようと考えた」(ジーメンさん)
■親たちは掃除に猛反対
ヤンゴン市内の学校で活動する際に教えるのは、便器からはみ出さないよう排せつする、排せつ後は流すといったトイレの適切な使用、排せつ後の手洗い、トイレ掃除だ。
ところが活動をスタートさせた当初、親たちの間で大反発が起きた。「学校は勉強するところ。トイレを掃除させるために子どもを通学させているのではない!」とトイレ掃除に猛反対したのだ。子どもの健康のためと繰り返し説明しても理解してもらえず、ジーメンさんと吉田さんは頭を抱えた。
風向きが変わったのは意外な出来事だった。吉田さんと小学校の元校長がトイレを掃除している姿を、子どもの親たちがたまたま目にした。すると親たちの気持ちに変化が起きたという。
「小学校の元校長という地位の高い人が、忌み嫌われるはずのトイレ掃除をしている。それがまた日本では当たり前」と知り、親たちは納得した。
■トイレ掃除は思いやり
毎年11月19日は国連児童基金(UNICEF)が定める「世界トイレの日」だ。ミャンマーでは学校だけでなく国全体のトイレ改革を進めるため、教育省、健康スポーツ省、タンシンメッタの共同でさまざまなコンテストを催してきた。
コンテストのテーマは、2018年はトイレを一緒にきれいにしようと訴えかけるポスターの作成、2019年はトイレ掃除をしようと歌う曲にあわせたダンスだった。コンテストにエントリーできるのは子ども(学校単位)だけだ。
2018年のポスターコンテストの賞金は、優勝に輝くと30万チャット(約2万3000円)、準優勝は20万チャット(約1万5000円)、3位は10万チャット(約8000円)。
日本の清潔なトイレやトイレ掃除の習慣は、世界的にみれば決して当たり前ではない。ジーメンさんは「日本人には、衛生的にトイレを維持する習慣を世界に広めていってほしい。自分がトイレをきれいに使えば、次の人も気持ちよく使える。トイレ掃除は他人を思いやることと同じだと思う」と語る。