「食品加工の研究で、母国バングラデシュの飢餓をなくしたい」。そう語るのは、バングラデシュ・ダッカからやって来た、筑波大の留学生ムハンマド・ソハヌール・ラフマン・ソハンさん(23)だ。ソハンさんの研究テーマは「安定した精油乳濁液」をつくること。これを肉や野菜を包装するラップやトレーにつければ食べ物を長く保存できるようになるし、また牛乳と混ぜれば牛乳も長持ちするという。
■すぐに蒸発しちゃうんだ
植物の花や葉っぱ、果実から抽出される揮発性の油(精油=エッセンシャルオイル)は、細菌の増殖を阻害する成分を含む。このため食べ物を腐りにくくし、品質を保つといった働きをする。ただ難しいのは、揮発性が高く、すぐ蒸発してしまうこと。また水とも混ざりにくく、安定した状態での保存が難しいという。
ソハンさんの研究は、蒸発しやすく、水と混ざりにくい精油に、乳化剤を加えることで、安定な状態を作り出すというものだ。乳化剤を使うと、水と油(精油)の間に働く界面張力を壊し、精油を水と混ぜ合わせられるという。こうしてできた「精油と水の乳濁液」は、蒸発しないため保存が効き、また抗菌性も保てる。
精油といっても、その種類はおよそ1500ある。そのなかからソハンさんが選んだのは、シソ科植物からとれる「タイムオイル」と柑橘系の植物からとれる「リモネンオイル」だ。この2つの精油を水、乳化剤と混ぜて乳濁液にする。その後、2種類の細菌に乳濁液を加え、どれだけ増殖を抑えられるか検証する。
2種類の細菌とは、グラム陽性細菌の代表として大腸菌(病原性をもつ種としてO111やO157がある)、グラム陰性細菌の代表として枯草菌(ヒト、ウシ、ヤギの胃腸管に存在)だ。
「実験で効果があることがわかったら、これを食品の包装に利用したい。たとえば、牛肉を保存する際のラップを、この乳濁液に浸すことで、細菌を抑える働きを持たせることができるはず」(ソハンさん)
■朝の点呼は成績が良い順で
ソハンさんによると、バングラデシュから日本の大学に進学するのは難関だ。優秀な成績と英語力が欠かせない。
「バングラデシュの学校は競争がすさまじいんだ。毎朝の出席は成績の良い生徒から順に呼ばれるくらいだからね」。ダッカでの中学・高校の生活を振り返り、ソハンさんは苦笑いする。
ソハンさんは、同級生120人の中学では1番と2番の成績しかとったことがないという。学年600人の国立サイエンスハイスクールに進学してからも常に10番以内をキープ。中高ともに、すべての科目で最高点の成績をとり、卒業した超秀才だ。
「高校のときは週3回、4人の専属教師をつけて、学校が始まる前に物理を1時間。そこから学校で授業。帰宅してから、数学、生物、化学を3時間かけて習っていたよ。朝は8時から、夜は12時までかかることもあった。大学に進学することが、いかに険しいか、家族みんなわかっていたからね」(ソハンさん)
激しい競争を勝ち抜けるのはごくわずか。名門ダッカ大学をはじめとする国立大学の入試の倍率は100倍近くなることも。バングラデシュでは若者が圧倒的に多く、25歳未満の人口は全体の46%で、7300万人にものぼる。この数は日本の約3倍だ。
ソハンさんが日本への進学を意識し始めたのは、中学生のとき。当時、岐阜大で博士号を取得中だった兄から、日本ほど安全で、優しい国民性をもつ国はないと勧められたという。
「国立高校の英語教師だった父からは医者になるように言われたけど、手術とかしたくなくて。好きだった生物学や農学に強い筑波大に進学を決めたんだ」
■食べ物あっても貧困減らない
「将来はバングラデシュに帰って、食品工学の教授を目指したい。まずは母国の食問題を解決したい。バングラデシュでは細菌の感染によって、だめになってしまう食べものが多いから、そこに僕の研究を生かしたい」と思いを語るソハンさん。
「コメと魚の国」とも呼ばれるほど、自然に恵まれたバングラデシュ。コメの生産量は世界3位だ。またカレーによく入れる水産物の生産量も、ここ10年は年間平均で5.25%増えている。
ここ20年でトマトの生産量は4倍、トウモロコシは100倍以上伸びた。つまり生産量は伸びているにもかかわらず、たくさんの人がいまだに飢餓で苦しむ。で「その理由のひとつは、食べ物を保存できないからだ」とソハンさんは表情を曇らせる。
首都ダッカに人口が集中し、都市部での貧困問題も深刻。アジア開発銀行の2011年のデータによると、国民の75%を超える約1億1800万人が1日2ドル(約213円)未満で暮らす貧困層だ。
ソハンさんは博士課程への進学を考え中。修了したら、理化学研究所や産業技術研究所などへ就職し、研究職のキャリアを積んでから教授になりたいと夢を語る。