ロヒンギャ(イスラム教を信仰するベンガル系住民)の問題について、国際社会で2019年大きな動きがあった。ロヒンギャに対するジェノサイド(集団虐殺)が行われた疑いがあるとして、ミャンマーが国際司法裁判所に提訴されたのだ。12月にはアウンサンスーチー氏自ら出廷。軍が過度に武力行使した可能性を認めたものの、虐殺ではなくあくまで武力衝突だと主張した。「8888民主化運動」をアウンサンスーチー氏とともにした、ロヒンギャが主導する政党「民主人権党(DHRP)」のチョーソーアウン幹事長の目に、アウンサンスーチー氏はどう映るのか(上、中)。
■スーチー氏はロヒンギャと呼ばない
――アウンサンスーチー氏は、少数民族との和平を最優先課題としながら、ロヒンギャ問題に消極的すぎると国際的に批判されている。ノーベル平和賞を撤回すべきとの声も上がる。アウンサンスーチー氏にについてどう思うか。
「アウンサンスーチー氏はとても複雑な立場にある。彼女が表立ってロヒンギャの味方をすることはできないことを、私は理解している。国軍や、国軍と密接な関係にある連邦団結発展党(USDP)にいつも言動を監視されているから仕方ない。USDPとの友好関係なくして、政権運営していくことはできない仕組みだ」
――アウンサンスーチー氏に失望しているか。
「失望はしていない。彼女が言葉にしなくても、私は彼女を100%信じている。目指しているものは同じだからだ。一人ひとりが平等な権利をもつ、本当の民主主義国家だ。心はつながっている」
――アウンサンスーチー氏と実際に心がつながっていると感じることはあるか。
「ある。たとえば、アウンサンスーチー氏は私たちを決して『ロヒンギャ』と呼ばない。前述の88項目の提言(ラカイン州諮問委員会の最終報告書)の中でも、ロヒンギャは一貫して『ラカインムスリム(ラカイン州に住むイスラム教徒)』と書かれている」
――なぜそれで心がつながっていると感じられるのか。「ロヒンギャという民族を認めない」という意思表示のようにも感じられるが。
「決してそうではないと思う。アウンサンスーチー氏が『ロヒンギャ』という民族名でひとくくりにしないのは『どの民族であっても同じ人間』という、彼女の意思表示だと思う。民族や宗教にかかわらず、同じ血が流れる人間として権利を保証する。その精神の表れだと私は信じている」
■ベンガリとして生きる
――「ロヒンギャは国民として認められず参政権もない」という話があったが、チョーソーアウンさんは、ロヒンギャであるにもかかわらず、なぜヤンゴンで政治活動ができるのか。
「私はロヒンギャだが、『ベンガリ』としてミャンマー国籍をもっている」
――ベンガリは「バングラデシュから来た人」という意味で、ロヒンギャにとっては、不法移民であることを示す蔑称だと聞いた。ロヒンギャであるチョーソーアウンさんにとってベンガリという区分での国籍登録は受け入れがたいのでは。
「ミャンマーで生きる手段として選んだことだ。私のアイデンティティはロヒンギャだ。だがロヒンギャという民族名では、政治活動はおろか、まともに生きていくこともできない。そうした理由でベンガリや『バマームスリム(ビルマ族のイスラム教徒)』などの区分で国籍登録をするロヒンギャは多い」
――ヤンゴンで暮らしていて、ロヒンギャまたはイスラム教徒として、差別されていると感じることはあるか。
「差別や迫害はある。特に2012〜14年はひどかった。ヤンゴンでもイスラム教徒が多いこの周辺(パベダン地区)では、道端にステージが設置され、毎日ヘイトスピーチが繰り広げられた」
――毎日ヘイトスピーチとは、普段の穏やかな街の様子からは想像できない。
「それだけではない。僧侶の袈裟を着た軍人が、托鉢のふりをして一軒ずつ家を回り、ロヒンギャがいかに悪い民族かを説いて回った。ロヒンギャに対するヘイトスピーチのDVDまで配った。有名な僧侶の中にも、軍人とつながってこの運動を盛り上げる人たちがいた」
――ロヒンギャが2015年から選挙に参加できなくなったのはこうした動きと関連しているのか。ミャンマー史上初めてイスラム教徒がいない議会になったのも反イスラム運動の影響か。
「そうだ。これは宗教対立ではなく、政治問題だ。2015年の選挙の前も、反イスラム運動はひどかった。圧倒的支持を得ていた、アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)ですら、イスラム教徒の候補者を立てるのをやめたほどだ。仏教徒の友人が、イスラム教が悪い宗教だと聞いて、私から離れていったこともあった。彼はやがてこれは政治的なゲームだと気が付いて、元通りの関係に戻ったが、その時は本当につらかった」
■ムスリムの格好はしない
――そうした過酷な環境のなかで、イスラム教徒として生きていくために工夫していることはあるか?
「外見的な『イスラム教徒らしさ』を避けること。たとえば女性が全身黒の衣装を着て、目元しか出さずに歩いていたら、ミャンマー人は怖いと感じるだろう。多民族社会で生きるためには、自分の信仰だけを大事にしてはいけない。他の民族の人たちにとっても話しやすい存在になり、友好関係を築くよう努力することが大事だ」
――とても柔軟な姿勢。
「相手の気持ちを考えたら簡単なこと。あなただって、私が長いあごひげでターバンを巻いていたら、もっと緊張するのでは」(おわり)
<筆者からインタビューを終えて>
3時間に及ぶインタビューのなかでは、チョーソーアウン氏が、仲間を失った民主化運動やヘイトスピーチを真に受けた友人が離れていったことなどを振り返りながら、涙で言葉につまるシーンもあった。しかし声を荒げて政府を批判するような場面は、一度もなかった。
彼の穏やかな態度は、インタビューで語られた政治活動や政府に対する姿勢からも伺われた。たとえばロヒンギャが不当に扱われても「政府はおかしい」「こうすべきだ」と糾弾することはないと言う。あくまで友好的で柔和に「話し合いたい」という意思を伝え、法に基づいた手段で状況の改善を目指すのが、彼の信条だ。
この姿勢はどこかで見たことがある、と考えて、思い出した。アウンサンスーチー氏の国軍に対する態度だ。彼女は、国軍や軍系の政党と政策的には対立しつつも「いかなる人物も組織も敵とは思わない」と明言。法にのっとり、国軍とも穏やかに握手しながら、民主主義を目指している。
アウンサンスーチー氏は著書『ビルマからの手紙』でこう述べる。「慈愛と誠実は、いかなる形の強制よりも人の心を強く動かすことができる」。これは仏僧からの説法を受けた後に、仏教徒として発した言葉だが、不思議と、イスラム教徒であるチョーソーアウン氏の態度を思い起こさせる。1988年の民主化運動から連綿とつづく「真の民主化」を目指す闘いのなかで、宗教を超えて培われた精神なのだろうか。「アウンサンスーチー氏と心はつながっている」と繰り返したチョーソーアウン氏の声が胸によみがえった。