子どもたちの手術ができない!? コロナ禍の「ドイツ国際平和村」に試練の時

平和村で我が子を治療してほしい、と訴える父親。アフガニスタンでは長年の紛争の結果、医療は壊滅的な状況だ(写真提供:ドイツ国際平和村)

紛争や貧困を抱える国で手術が必要になった子どもを、無償でドイツに送り、治療するNGOがある。ドイツ国際平和村(オーバーハウゼン市)だ。アフリカや中東などの7カ国からきた約170人が現在、治療やリハビリをしながらドイツで暮らす。新型コロナウィルスの影響で国際線の発着が制限され、いつ母国に帰れるかわからないと知った子どもたちが治療への意欲を失うなど、いま試練の時を迎えている。

■アフガニスタンは大丈夫?

「どうして今日はいつものスタッフがいないの?」。2020年3月、平和村の子どもたちはすぐ異変に気づいた。リハビリや日々の世話をしてくれるスタッフの数が3分の2に減ったのだ。平和村に新型コロナが持ち込まれないよう、外部からのボランティアを制限した結果だった。

「スタッフが減ったことで『家(母国)に早く帰りたい』と訴える子どもが増えました」と、2004年から平和村で活動する宍倉妙子さん(日本広報担当)は振り返る。子どもたちは自分に注がれる注意や愛情が減ったことを察すると、母国で待つ家族のもとに帰りたい、との思いを強くするという。

そこで3月下旬、子どもたちが暮らす施設の責任者が、子どもたちに新型コロナについて説明した。ウィルスが世界中に広がっていること、感染予防対策が必要なこと、アフリカや中東への定期的なフライト(平和村が使う70人乗りのチャーター機)を飛ばせず、しばらく母国に帰るめどがたたないこと‥‥。

すると、子どもたちは「家に帰りたい」とは口にしなくなった。かわりに「アフガニスタンは大丈夫?と家族のいる母国を心配する言葉が聞かれるようになった」(宍倉さん)。

だがスタッフが少なくなった影響は大きい。レクリエーションや勉強の時間が減り、手持ち無沙汰になった子どもたちは小さなイタズラをしたり、立ち入り禁止の道をわざと通ったりして、スタッフの目を引こうとする。「気持ちはわかりますよね。みんなで乗り切るしかないです」と宍倉さんは明るく笑う。

宍倉さんが感じた子どもたちの変化はもうひとつある。治療やリハビリへの意欲の低下だ。「治療やリハビリには痛みが伴います。しかも平和村では、つらいときに寄り添ってくれるはずの親がいません。そうした状況でも頑張れるのは、家に帰るという目標があったからなんです」。子どもたちは治療やリハビリに前向きに取り組むことができず、リハビリの成果もなかなか上がらないという。

■8月に迎えにいくと約束したのに

平和村は、アフリカ南西部のアンゴラとアフガニスタンに年2回ずつチャーター便を飛ばしている。平和村で治療を終えた子どもたちを母国に連れて帰るとともに、これから治療が必要な患者をドイツに搬送するためだ。だが新型コロナで国際線の発着が制限された結果、この援助フライトが3月以降すべて延期に。平和村のフライトを待つ各国の子どもたちを迎えに行けない事態に陥っている。

なかには前回の援助フライトの際に診察をすでに受けたものの、ドイツに行けず、次の便を待っている子どももいる。1回のフライトには緊急性の高い順に70人しか乗れないためだ。「『8月にはドイツに乗せて行くからね』と約束した子もいます」(宍倉さん)

援助フライトにはまた、もうひとつ重要な役割がある。それは、平和村から帰国した小児がんや遺伝病などの子どもたちに、内服薬を定期的に届けることだ。生きるために必要な薬が自分の国でどうしても入手できない子どもにとって、平和村が届ける薬は命綱。一刻も早いフライトの再開をスタッフたちは祈り続ける。

■300軒あった協力病院が10数軒に

平和村は1967年の設立以来、治療や術後のケアを無償で提供してくれるドイツの病院と協力し、活動してきた。しかし実は数年前から、こうした協力病院の数が激減していた。原因は病院の人員不足と財政難だ。

ドイツの病院では、2009年に医療制度が改革された結果、ベッド数に対して限られた数の医療スタッフしか配置できなくなった。また2008年のリーマンショックの影響で経営的に厳しい病院も増えた。

これにより、以前300軒ほどあった平和村の協力病院は2015年時点でおよそ90軒と3分の1以下に。年間450件ほどだった手術件数も約250件にまで減った。

そこに追い打ちをかけたのが新型コロナだ。コロナ対応に追われた病院は、患者の受け入れを制限。その結果、平和村のために病床を確保できる病院は2020年8月時点でわずか十数軒まで減った。手術数も、例年よりさらに100件ほど減りそうだ。

こうした状況では仮に平和村が援助フライトを再開できても、ドイツで子どもを治療する病院がない。子どもの治療を再開するまでのハードルは、飛行機だけではないのだ。

■平和村で手術できるように!

協力病院の数が減ることに対する打開策となるのが、平和村の敷地内に建設中の「メディカルリハビリセンター」だ。1階に手術室と術後の観察室、2階には包帯交換などをする処置室とリハビリ室を置く。2020年12月にはオープンする予定だ。

術後の全身管理を必要とする大きな手術はこれまで通り病院で行う。だが、やけどした後の外科的な処置など小さな手術は平和村でできるようになる。

■目指すは「平和村がなくなること」

平和村の活動は、子どもをドイツで治療するだけではない。子どもがドイツに来なくても母国で適切な治療を受けられるよう、アジアや中東に医療施設を建てたり、地元の医療者とともに手術や治療をすることで現地の医療者を育てたりしている。

また、一般人が平和村を訪問するプログラムもある。民族紛争の影響でけがや障がいを負った子どもたちが、人種や宗教などの壁を超えて一緒に暮らす姿を見て、途上国の現状や平和について参加者は考える。

こうした活動を通して平和村が目指すのは、戦争や貧困で傷つく子どもがいない「平和村が必要ない世界」だ。平和村が設立されて半世紀、その未来に少しでも近づくことはできているのか。

宍倉さんによると、平和村にはこんなエピソードがある。

アフガニスタンで、ある男女が出会った。この2人はどちらも幼いころ平和村にいたという。当時は互いに面識はなかったが、それを知って驚き、すぐに意気投合。結婚を考え始めた。ところが互いの民族が違った。民族対立が激しいアフガニスタンで、異民族同士の結婚は周囲から猛反対にあった。

しかし2人はあきらめなかった。「違う民族でも一緒に生活していけることを私たちは知っている。そのことを、自ら平和の象徴となってアフガニスタンに示したい」。そう言って、猛反対を押し切って結婚したという。平和村が生んだ小さな奇跡の実話だ。

平和村のホームページには、トーマス・ヤコブズ前代表のこんな言葉が載っている。「私たちの活動は、焼け石に水だとよく言われます。でも、この一滴が集まれば川ができ、川が集まれば、海になるのです」

アンゴラからドイツに到着し、空港で待ち構えていた救急車に乗る少年。空港からそのまま入院できる体制が整っている(写真提供:ドイツ国際平和村)

アンゴラからドイツに到着し、空港で待ち構えていた救急車に乗る少年。空港からそのまま入院できる体制が整っている(写真提供:ドイツ国際平和村)

2004年から平和村で活動する宍倉さん。宍倉さんの周りにはいつも子どもたちが集まってくる(写真提供:ドイツ国際平和村)

2004年から平和村で活動する宍倉さん。宍倉さんの周りにはいつも子どもたちが集まってくる(写真提供:ドイツ国際平和村)