ミャンマーの最大都市ヤンゴンに、本格西洋レストラン「シュエサブウェ(Shwe Sa Bwe)」がある。このレストランの特徴は、ミャンマー農村部の村から集まった青年たちが、接客や調理のスキルを学ぶ職業訓練校でもあること。11カ月間の訓練中、生徒たちは「やる気」「積極性」「規律を守ること」の3つを徹底して教わる。オーナーシェフのデイビー・エルピディオ・エイクさん(34)は「この3つがあれば、自分で人生を切り開いていける」と語る。
■ゼロから始める11カ月
職業訓練は毎年8月から始まる。25人の生徒は、「接客」と「料理」の2チームに分かれ、最初の1カ月でゼロからみっちりと概論を学ぶ。内容は、注文の取り方、テーブルセットの仕方、調理器具の使い方、基礎的な調理技術など多岐にわたる。毎週月曜にはクイズ形式の確認テストもあり、気が抜けない。
生徒が実際にレストランに立つのは9月からだ。注文をとったり、レシピを勉強したりする。デイビーさんは「生徒が基礎的なことを繰り返し実践して覚えられるよう、9月のメニューにはなるべくシンプルな料理を揃えている」という。
11カ月間で学ぶのは、調理や接客の「基礎の基礎」。「独創性などの応用力は、訓練を終えた後、ホテルやレストランで働き始めてから身につけてくれればいい」(デイビーさん)
■「質問してごらん!」
教えるのは調理や接客だけではない。人生を切り開くための「ライフスキル」教育にも力を入れる。カギは「やる気」「積極性」「規律を守ること」の3つだ。
「どんな些細なことでもいいから質問してごらん!」。デイビーさんはどの生徒にも、必ず質問をさせる。しかし、どんな優秀な生徒も最初はほとんど質問できないという。
「生徒たちは、言われた通りのことはできるが、なぜそうするのか疑問をもつ習慣がない。しかし11カ月間ですべてを習得することはできない以上、卒業した後は、自ら考え、学ぶ姿勢が絶対に必要。『なぜこの切り方をするんですか』とか『もう一度やって見せてくれませんか』などと問う力を身につけてほしい」(デイビーさん)
またデイビーさんは月に1度、生徒と話し合いの場をつくる。テーマは、10年後にどこでどんな暮らしをしていたいか、その目標を叶えるために今何をすれば良いか、など。「明日のことしか考えないような生徒も多いから、かなり苦戦しているよ」と笑う。
だがデイビーさんが就職先を斡旋することはない。電話での問い合わせ方や履歴書の書き方は教えるが、あとは生徒たちが自身でトライする。デイビーさんは「実際に経験してみることが大事なんだ」と強く語る。
■ドバイの高級ホテルへ
普段の生活には自律性を求める。訓練中は、酒やタバコ、けんか、3回の無断遅刻など明確な禁止事項がある。違反すると問答無用で退所だ。今年は半年で6人が去った。
しかし生徒は「厳しすぎるとは思わない」と言う。接客担当のファイサさん(19)は「オーダーを復唱して確認するのを忘れたせいで、鶏肉と豚肉のオーダーを間違えたことがある。シェフ(デイビーさん)にその場で叱られたけれど、後から私の肩に手を置いて『繰り返さなければいい』と言ってくれた。それからは一度も間違えていない」と話す。
またファイサさんは、シュエサブウェが規則に厳しいおかげで自制心も学んだという。「他の生徒とけんかしそうになったこともあるが、けんかは禁止。ぐっとこらえてスタッフに相談し、話し合いに入ってもらって解決した」
デイビーさんによると、シュエサブエの教育の成果がわかるのは「訓練が終わって、よそで働き始めてから」だという。卒業生の中には、4〜5年ミャンマーのホテルなどで働いた後、中東ドバイの高級ホテルやクルーズ船などにステップアップする生徒もいる。このような夢の実現をシュエサブウェでの教育が支えている、とデイビーさんは信じている。
■待機リストに50人以上
生徒は、知り合いのつてを使い、チン州、シャン州、カヤー州などいわゆる辺境の農村部で募集する。シュエサブエのスタッフが実際に村に出向き、関心のある候補者を探すことも。パオ族やナガ族などの少数民族の生徒も多い。
選考で重視するのも、人間力を育てるためにシュエサブエが掲げる3つの哲学「やる気」「積極性」「規律を守ること」だ。ミャンマー語の識字や年齢(18歳以上)などの制限はあるものの、この3つさえあれば、学歴や障がいの有無などは関係ない。希望者は多く、すでに50人以上がウェイティングリストに名を連ねる。
訓練費用や食費、住居費は、シュエサブウェの売り上げで賄う(生徒が払うのは、入所時のデポジット金7万チャット=約5000円のみ)。デイビーさんは、寄付や投資には頼らないようにしていると話す。「訓練内容に影響が出る可能性もあるし、寄付や投資が止まったら運営できなくなるからね。寄付を申し出てくれた人には生徒の宿舎の備品やキッチンの修繕など、お金でない形のサポートをお願いしているよ」
とはいえ、決して経営が楽なわけではない。満席の日もあれば、ほとんど来客のない日もある。現在は、ケータリングや菓子作り教室を手がけたり、またフェイスブックなどのSNSでの発信に力を入れたりしたことで業績は上向きつつある。
■ホスピタリティ産業を育てたい
シュエサブウェが開店したのは2011年。同年ミャンマーは民主化し、2015年に実施された選挙では、アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝。2011年に80万人だった観光客は、2015年には約6倍の470万人まで激増した。外国人を主なターゲットとしていたシュエサブウェも、順調に売上げを伸ばした。
ところが、西欧レストランの需要が増えたことによりライバル店が出現したり、ロヒンギャ問題により欧米からの観光客が減ったりと、苦しい時期も経験した。
実は、デイビーさんがシュエサブウェで働き始めたのは2014年。以前は、ミャンマー国内の別のホテルやレストラン、スーパーマーケットの輸入部門などで勤務していた。2014年に知り合いの紹介でシュエサブウェへ。若者の未来を育てるこの仕事に、すぐに夢中になった。2019年の8月ごろに前オーナーから店を引き継ぎ、名実ともにオーナーシェフとなった。
経営者となったデイビーさんの今後の目標は「まずは安定して利益を出すこと」。
しかしもちろん、それだけでは終わらない。「いつかヤンゴンにホスピタリティ産業(接客サービスを提供するビジネス)の専門学校をつくりたい。シュエサブウェを実習先にするんだ」と、デイビー氏は目を輝かせる。ひとりひとりの生徒を見つめながら、その視線の先にはミャンマーのホスピタリティ産業の未来をとらえている。