きっかけはダッカのテロ事件
玉懸さんがドットワールドを立ち上げたきっかけは、2016年7月にバングラデシュの首都ダッカで起きたイスラム過激派によるテロ事件にさかのぼる。事件には日本の援助関係者7人が巻き込まれ、国際開発業界全体に衝撃が走った。
当時の玉懸さんは、国際開発業界の専門誌「国際開発ジャーナル」の編集長。事件を知ってすぐ追悼文を執筆し、校了直前だった月刊誌の巻頭に差し込んだ。翌月号には事件の緊急特集を掲載するべく、作成に取りかかる。
緊急特集は4本柱で作成。犠牲者の遺族や同僚・友人と、国際協力機構(JICA)、外務省の3方面への取材内容と、国際開発ジャーナル誌編集部が執筆した事件の経緯説明や問題点の指摘を掲載した。
事件で犠牲になったのは、JICAが外注した案件で赴任していた開発コンサルタントたち。遺族のJICAに対する怒りや、事件への戸惑いや疑問も当然のことだった。
取材当時のことを玉懸さんはこう振り返る。「夫を亡くして呆然とする奥さんが、ぽつりぽつりと犠牲になった方の生前の姿を話してくれた。それを聞きながら、『お辛いですね』なんてとても言えず、ただメモをとった」
なぜ事件が起きたのか――。疑問ばかりが飛び交う中で、事件を読み解くにはバングラデシュからの視点が必要だと玉懸さんは思い至る。
「親日国で、大規模開発の只中にある投資先。これが当時の日本にとってのバングラデシュだった。でも、バングラデシュの中から見たら、それは違ったのかもしれない。日本の開発援助をよく思っていない人もいた可能性だってある。バングラデシュの人々が日々どんな情報に触れて、何を考えているのか。これを知りたくなった」(玉懸さん)
現地の人の世界観を日本の人に知ってほしい。いろんな見方があることを伝えて、違いも受け入れられる寛容な世界をつくりたい。このときに抱いた思いが玉懸さんを突き動かす原動力だ。
ドットワールドの立ち上げから1年半。「正直、うまくいっているとは言えない」と玉懸さんは明かす。これまでに手掛けたのは紙の媒体で、ウェブサイトのアクセス分析や、ツイッター・インスタグラム・フェイスブックでの記事拡散は初めての経験だ。
書き手の開拓にも課題を感じている。ドットワールドが大事にするのは、その国の人々にできるだけ近い視点からニュースをとらえ直すこと。これをかなえられる、現地に根差した書き手を見つけるのは容易ではない。
さらに大変なのは、ドットワールドの運営母体の一般財団法人国際開発センター(IDCJ)に編集経験のある人がいないことだ。社外で手伝ってもらっている編集委員2人はどちらも海外在住。企画については編集委員同士で綿密に話し合って練り上げたいのが本音だが、そうもいかない。企画以外の記事発注、書き手の開拓、記事の校正、サイトの記事更新などは玉懸さん一人でしている。
決して楽ではないドットワールドの運営。それでも玉懸さんは笑顔でアイデアを話す。
「共通テーマで複数の書き手に記事を依頼して、各国の人々の視点が比較できるような特集をやってみたい。カバーしきれていない地域や国に精通した書き手を発掘し、一緒に記事作成をしたい。あと数年は試行錯誤が続きそう」