国連が介入するよう圧力かけたい
非暴力委員会が発足したのは、軍事クーデターから9日後の2月10日。その裏舞台には在日ミャンマー人と歩んだ日本人の20年におよぶ民主化運動の歴史がある。
熊澤氏がミャンマーの民主化運動にかかわるきっかけとなったのは、1980年代にミャンマーから日本に逃れた民主化運動のリーダーとの出会いだった。熊澤氏はその後、行政書士の資格を取得し、難民申請や在留ビザの申請など法手続きを助けていく。抗議デモでは、ミャンマー軍による暴力行為や市民の不服従運動(CDM)を日本人に知らせるために、日本語で情報発信する。
アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が選挙に勝った2015年、熊澤氏は在日ミャンマー人と「在日ミャンマー市民協会(Union of Myanmar Citizens’ Association)」を立ち上げた。ロヒンギャをはじめとするマイノリティへの迫害に反対し、技能実習生を助ける活動を続けてきた。
在日ミャンマー市民協会の会長で、非暴力委員会の代表でもあるアーロータウンスイ氏は、今回のハンストについて「ミャンマーをはじめ日本以外から注目を集めることができた。今後は在外ミャンマー人の国際ネットワークを使って、軍に対して国連が介入するよう国際圧力をかけていく」と意欲的だ。
一方、熊澤氏は今回のクーデターでミャンマーは20年前より悪くなったと肩を落とす。だが「国軍にも冷静な面がある。国際社会と協調して再び民主化へとソフトランティングするのでは」と望みをつなぐ。
抗議行動の疲れが出てくる今後について「在日ミャンマー人は20年前の3倍以上の3万3000人になり、在日ミャンマー人を知る日本人も増えた。日本人の関心を高めて日本の政府や企業に対して、ミャンマー国軍への協力をやめるよう働きかけていく」と熊澤氏は次なる一手を語る。