【翻弄される西サハラ(1)】「西サハラはサハラーウィのもの」 難民キャンプ生まれの若者が祖国の主権訴える

アルジェリアのチンドゥーフにあるサハラーウィ難民キャンプ(2019年撮影:岩崎有一/アジアプレス)

国際社会は無視し続けるのか

「国連の空約束で我慢し続けるのは不可能だ」。ファトマさんの非難の矛先は、モロッコの占領を黙認する国際社会にも向く。

国連は1991年、ポリサリオ戦線とモロッコ政府の間に入って停戦合意を取り付けた。国連西サハラ住民投票監視団(UNMINURSO)を設立し、独立の是非を問う住民投票の実施を約束した。

しかし、住民投票は分が悪いと見たモロッコ政府は、住民投票の実施を妨害し続ける。国連もイニシアティブを発揮できていない。それどころか、モロッコ政府が進めるゲルゲラートの道路工事も黙認してきた。

「残された手段が“手と足しかない場合”を考えてみてほしい。戦争を選んだのは私たちではない。何もしない国際社会が私たちに戦争を選ばせた」(ファトマさん)

西サハラを長年取材するジャーナリストの岩崎有一さんも、窮地に立たされるサハラーウィの思いをこう代弁する。

「緩衝地やモロッコの占領地で仲間が傷つけられても、サハラーウィは我慢しなければいけないのか。国際社会はこれを無視するのか」

夏は50度・冬は氷点下 で暮らす

1975年のモロッコ侵攻で、サハラーウィは分断された。モロッコの占領地で暮らすサハラーウィと、隣国アルジェリアに逃れたサハラーウィだ。

占領下で暮らすサハラーウィはモロッコ政府から「二級市民」として扱われる。雇用の機会は制限され、モロッコ人が避けるような末端の仕事にしか就けない。

モロッコが支配する西サハラの主要都市では、私服警官がサハラーウィ、外国人、人権NGOのスタッフなどを監視する。岩崎さんは「サハラーウィが西サハラの独立運動をすれば、警察に逮捕、拘束される。そこで死なない程度の拷問やレイプ、暴行を受ける」と、モロッコ政府の非道な人権侵害を語る。

国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは2019年、「モロッコでは表現や集会の自由が著しく制限されている」とする公開文書をモロッコ国王のムハンマド6世に送った。とくに西サハラでは平和的なデモが武力で弾圧されている、とモロッコ政府を強く非難した。

隣国アルジェリアに逃れたサハラーウィの生活も苦しい。彼らが生活するのは西サハラとの国境近くに作られた難民キャンプ。そこは「砂漠の中の砂漠」とも呼ばれる場所だ。夏場は気温が50度を超える半面、冬場の夜間は氷点下になることもあるという。(つづく

1 2