「ゆっくり生きてもいいというタイ人の価値観に触れて、うつ病から回復することができた」。そう語るのは神戸のNPO法人「まなびと」の中山迅一(ときかず、37)理事長だ。中山さんは現在、まなびとで学童保育事業と並行して日本語教室を運営。日本人と外国人が意見を交換できる機会を作る。
人間をやめるか、自分をやめるか
まなびとの日本語教室に通うのは約10人の外国人。英語を教える欧米人やベトナムからの技能実習生、近くの大学の留学生などさまざまだ。授業料は1回(1時間半)500円と格安。生徒は日本人の教師と1対1で日本語を勉強する。
「日本語教室といっても、目的は在日外国人と日本人との交流」と話す中山さん。授業では文法や単語を学ぶより、会話が中心だ。
話す内容は、職場や学校での出来事から、故郷の話、日本との違いなど。「ミャンマーのクーデター」など時事ネタも話題に上がる。こうしたトピックについて生徒と教師はお互いの考えを交換する。
価値観を共有する日本語教室。これを立ち上げた裏には、中山さん自身の「異文化に触れて救われた経験」がある。
中山さんは2004年に、京都大学文学部に進学。だが大学の授業に出る理由を自分で見いだせず、悶々とする日々を過ごす。「大学の授業は興味もなかった。(内定をもらった会社も)心から働きたいところではない。でもこれをしなかったら(社会的に)人間じゃなくなる。人間をやめるか自分をやめるか‥‥」
こう悩んだ中山さんはうつ病を発症。卒業論文を書き上げられず留年。内定をもらった企業に就職できなかった。自分で自分に「人間失格」の烙印を押した中山さんは家に引きこもるようになった。
ゆっくり生きてもいい
勉強もしない。仕事もしていない。自分には価値がないんだ――。この考えが大きく変わったのは、2010年1月にいったタイ旅行だった。
当初はタイからカンボジアのアンコールワットに行こうと思っていた。ところがバンコクでお腹を壊し、2日間入院。時間と体力を奪われた中山さんは、ゲストハウスの近くにあったタイの大型ショッピングモール「MBKセンター」で時間をつぶしていた。
そこでたまたま、まがい物のTシャツなどを売っていたタイ人と仲良くなる。
中山さんはそのタイ人の働きぶりに衝撃を受けた。仕事中に漫画を読んだり、クイティヤオ(タイのラーメン)をすすりながら、接客をしていたのだ。
彼は、タイの中でも貧しいといわれる東北部(イサーン)出身。仕事を求めてバンコクに来ていた。家族への仕送りのために頑張って働くかと思いきや、びっくりするほどのほほんとしていた。
「かといって彼が自分本位というわけでもない。僕のお腹を気遣ってくれたし、ランチに付き合ってくれた。ただただ自由気まま」(中山さん)
夢は何?と尋ねたら、農場をもつことだと答える。「農場といっても今の働き方を見ていたら稼げるはずないし、絶対不便な生活じゃないか」。中山さんは思わず突っ込んだ。と、同時にあることに気づいた。
「稼ぐことや便利なことは、自分が重視する価値でしかない。彼はそこに価値をおいていない。それでも楽しそうに生きている」
もっとゆっくり、リラックスして生きてもいい、というタイ人の価値観に触れた中山さん。自身の中でできあがっていた「働かなければいけない」という固定概念から解放された。それ以降、うつ病から少しずつ回復していった。