モンゴル語による教育が禁止されて1年、内モンゴル出身の滋賀県立大教授「息の根を止められる」

モンゴル族の高校の生徒。モンゴル語で書かれた教科書が並ぶ(写真提供:ボルジギン・ブレンサイン氏)

非暴力で圧力をかける

ブレンサイン氏は「モンゴル族が望むのは、これまで通り自分たちの言語や文化がある程度残された状態で(中国の支配下で)生かしてもらうこと」と口にする。

そこでブレンサイン氏が大切だと考えるのは、中国共産党に非暴力で圧力をかける「平和闘争」だ。ブレンサイン氏はこう説明する。

「中国共産党は(自ら決めた)党の綱領や憲法で、『国内すべての民族の発展と平等の保障』を記す。でもこれを行動に反映していない。国家として定めた政策や法規を尊重するべき」

ブレンサイン氏によると、内モンゴルにとって平和闘争は唯一の選択肢だ。人口約2500万人の内モンゴルで、モンゴル族は17%と少数派。8割を占める多数派の漢族と体を張って戦うことは厳しい。

「内モンゴル出身の知識人の多くは、1966年からの文化大革命(毛沢東が始めた中国社会を大混乱に陥れた政治運動)で弾圧された。犠牲者はもうこれ以上、出せない。モンゴル族は知恵を絞って、降りかかる槍を避けるように生きていくしかない」(ブレンサイン氏)

文革を経験したブレンサイン氏は、小学校から大学までモンゴル語で教育を受けた世代。「モンゴル族のアイデンティティをもって中国で生きてこられたのは奇跡。いま思うと、とても恵まれていた。かつての中国の懐の広さも感じる」と振り返る。

ブレンサイン氏が卒業した内モンゴル大学は、モンゴル語で教育を受けられる場の象徴。言語・文学とマスメディアの分野をモンゴル語で教えるからだ。モンゴル族と同じく独自の言語をもつウイグル族、チベット族、朝鮮族がそれぞれの言語で教育を受けられるのは、教師になるための師範系の学校のみだ。

教育が発展した内モンゴルは長い間、55の少数民族の「模範」だった。 内モンゴルに自治政府ができたのは1947年。中国の建国より2年早い。

【内モンゴル自治区とは】
内モンゴル自治区は、中国内陸部にあるモンゴル族の自治区。モンゴルと国境を接する。区都はフフホト。人口約2500万人のうちモンゴル族は17%(約425万人)。これは約330万人が暮らすモンゴルよりも多いため、世界最大のモンゴル人居住区だ。モンゴル語は、伝統的なモンゴル文字(縦書きで左から右に読む)を使う。だがモンゴルで一般的に使われるのは、社会主義時代の影響でロシア語と同じキリル文字。

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