途上国の障害児はなぜ学校に通えないのか、障害のせい? 社会のせい?

畠山氏が理事を務める教育NGOサルタックのローカルスタッフが、ネパール・カトマンズ近郊のラリトプルにある小学校で絵本を読み聞かせしているところ(記事とは関係ありません)

世界の小学生相当の不就学児は約6000万人にのぼる。この3分の1が障害児だ。こうした現状を打破するために必要なのは何か。教育NGOサルタックの畠山勝太理事は「障害児が学校に行けるかどうかは、社会がどう変わるかどうかにかかっている」と指摘する。

障害のとらえ方に「社会モデル」という考えがある。これに基づけば、障害は、心身機能の障害という医療の問題(これを「医療モデル)と呼ぶ)ではなく、不便な社会(モノ、環境など)に非があるというものだ。障害児にとって不便な社会とは、障害児を受け入れる体制が学校にないこと、道が穴だらけだったりして登下校に危険が少なくないこと、親や地域の住民が障害児に偏見をもっていることなどを指す。

わかりやすい社会モデルの一例として畠山氏が挙げたのが「眼鏡」だ。軽~中度の視覚障害者にとっては、眼鏡さえあれば障害はある程度乗り越えられる。

「タイやトルコなどの中所得国では眼鏡へのアクセスもある程度は望める。だがマラウイなどの後発開発途上国(LDC)になると、ほとんどの人が眼鏡を買えない。学校に行っても黒板の字が見えないから、勉強についていけなくなる。その結果、退学に追い込まれてしまう」(畠山氏)

畠山氏の主張は、障害児の就学率を上げるには、障害児が小学校へ通う際の障壁を取り除くこと。社会が、障害者に合理的な配慮を提供できるようなるべきだということだ。

その第1が、養護教員を各校に配置するなど、学校が障害児を受け入れる体制を整えること。ただこれは言うのは簡単だが、実現するのは難しい。

畠山氏は「途上国には人件費をねん出する原資がない。教育予算の8〜9割は教師などの人件費が占める。国によっては、1つの教室に100人の児童が詰め込まれているなど、教師すら足りないのが現状。それなのに、養護教員を雇うお金はあるはずもない。また途上国の教育予算に海外からの援助が占める割合は10%もない」と説明する。

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