閑古鳥が鳴くマーケット
噂通り、メーソットのイミグレーション(入管)のゲートは閉まっていた。人はまばらで、道の真ん中では数匹の野良犬が昼寝している。車やトラックが長蛇の列を作っていた2年前が嘘のようだ。
モエイ川の淵にも行ってみたが、2年前とは様相が全く違っていた。川沿いには有刺鉄線が張り巡らされ、川を渡る船は一隻も見当たらない。数十メートルの間隔で警察が警備している。何とも物々しい雰囲気だ。
このモエイ川は以前、1日何千人もの人が渡る交易の関所だった。近くに住むミャンマー人やタイ人はこの川を毎日行き来してモノを売買し、生計を立てていた。その国境が閉まるということは彼らが仕事を失うこと。メーソットの経済の打撃は計り知れない。
ミャンマーからの輸入品を売っていた人たちは今どんな状況なのか。私とブワイは国境に隣接するリムモエイマーケットへと足を延ばした。
ここはミャンマーのモノが安く手に入るところで、2年前に来たときは多くの客で繁盛していた。だがここも国境閉鎖の影響か、開いているお店は以前の3分の1ほど。客も見渡す限り、私とブワイだけだ。
「国境が閉まってから、ミャンマーの品物は入らなくなった。店頭に並んでいる商品がすべてだけど、客が来ないから全然減らない」
店のおばちゃんはこう嘆く。貿易のストップと客の減少。このダブルパンチがメーソットの商売に打撃を与えていた。同情する私を見ておばちゃんがまた話しかける。
「ちょっとでいいから買っていってよ」と私にヒスイのキーホルダーを見せた。
ヒスイか。私は緑色をした半透明の宝石を前に苦笑いをした。ヒスイはミャンマー・カチン州の特産品だが、そのほとんどが国軍が所有するヒスイ鉱山から産出されているといわれる。この美しい宝石が銃に変わり、罪のないミャンマー人に狙いを定めるのだ。こう考えるとなかなか手が出せない。私はおばちゃんの言葉に後ろ髪をひかれながらも、店を後にした。
すぐ近くで、ミャンマーの伝統的化粧「タナカ」の木や粉を売っている男性を見つけた。タナカは、ミャンマー中央部で採れるミカン科の木だ。これをやすりなどで粉にし、水にとかして、頬や顔全体、首などに塗って使う。美肌や日焼け止め効果があるとされる。
この店も商売に苦労しているのかと思いきや、男性はタナカの粉をせっせと箱詰めしている。何をしているのかと聞くと、「オンラインで注文を取ってタイ全土に発送している」。東南アジアのさびれた国境の町にもオンラインビジネスが浸透している。それとともにタイ人の転んでもただでは起きない姿勢にただただ感銘を受けた。
「お前日本人か! コーヒー飲んでいけ」
「ここは撮影禁止だ」
モエイ川に戻って写真を撮っていると、警察が近づいてきてこう言った。国境といえど、ここはタイ国内。なぜ写真撮影がだめなのか、私は言い返そうとした。
だがブワイがあまりいい顔をしていない。ブワイはパスポートと労働許可証をもつ正規のミャンマー移民だが、ここは異国のタイ。警察と何かもめれば、最悪拘束されミャンマー国境警備隊(=ミャンマー国軍)に引き渡されてしまう。ブワイのこともあり、私はカメラを収め、この場所を離れることにした。
「もっと面白いところがあるから、そこに連れていくよ」
ブワイはこう言って私をバイクに乗せ、北に数十分のところにある船着き場に連れて行ってくれた。ここはかつてミャンマーから移住してきたバーマムスリム(イスラム教徒のビルマ族)が多い地域。子どもたちが走り回り、ひげを生やした男たちがチャイを飲んでいる。女性たちは色とりどりのヒジャブを被っていた。
驚いたことに、この船着き場では物資が行き交っていた。荷物を積んだトラックが川岸に並び、荷物がボートへと移されていく。そのボートはミャンマー側へと移動し、積み荷を降ろしていた。私はカバンからカメラを取り出し、その様子をこっそり撮影した。すると後ろから声をかけられた。
「そこで何をしている!」
振り返ると、大柄な男がタバコをふかして仁王立ちしていた。褐色の肌に長く蓄えられたひげ。膨れ上がったお腹を支えるようにロンジー(ミャンマーの腰布)をまいている。威圧感はあるものの警察ではなさそうだ。
「日本から来たジャーナリストで、今メーソットの取材をしている」
私は正直に告白した。すると男は顔をほころばせてこう言った。
「お前日本人か! よくこんなところまで来たな。コーヒーでも飲んでいけよ」
彼の名前はB。1990年にメーソットに移り住んだバーマムスリムで、以来ここで家具を輸入販売している。なぜ日本人の私に優しくしてくれるのかというと、家具の輸入元が日本なのだ。たしかにBの家具屋兼倉庫には、日本語で書かれた服や家具が所狭しと並べられていた。