「国軍はすべて盗人だ」と怒り
そんなBもミャンマーのクーデターで打撃を受けたひとりだった。Bはメーソットからミャンマーに家具を輸出している。だがクーデターが起きた後はミャンマー国軍のチェックが厳しくなり、品物が目的地に到着するまでに相当な時間がかかるようになったという。
「国軍は各都市に設置した検問所で品物のチェックをする傍ら、ドライバーにわいろを要求したり、品物を盗んだりする。文句を言えば、問答無用で警察署に送られる」(B)
これまで数日で届いていたものが、数週間、時には届かないことさえある。こんな状況では、ミャンマー国内の顧客もBに発注できない。出荷の注文はクーデター前の6分の1に減少した。
「国軍はすべて盗人だ」。お世辞にも人相がいいとは言えないBの顔が怒りで紅潮した。私は続けて尋ねた。
「盗人である国軍に対して、Bさんはどう対抗しますか」
Bは怒りを抑えながらこう答えた。
「いいか、今ミャンマーでは多くの人が生活に苦しんでいる。先月もこの近くで空爆があり、何千もの人がタイに逃れてきた。俺が今できることは困っている人を助けることだ」
先月あった空爆とは、メーソットから十数キロメートルのところにあるミャンマー側の開発地区レイケイコーにミャンマー国軍が落としたものだ。
Bは昨年の12月、レイケイコーから避難してきた人のために、メーソットで食料や毛布、服などを購入して、ピックアップトラックで避難場所に毎日運んだという。現在もNGOに服や食料を寄付し、それを現地にもっていってもらっている。
やはり、ミャンマー人はメーソットの近くに避難しているのだ。私はすかさずBに質問した。
「今、難民はどこにいるんですか」
「空爆当時、大多数のミャンマー人はレイケイコーから川を少し下った反対側(タイ側)にあるメーコーケンというところに避難していた。ただ今はタイ政府の監視が厳しく、入るのは難しいと聞く」
メーコーケン。ここにミャンマーからの避難民がいる。私は忘れないようにこの地名をノートに書き込んだ。
それにしてもBの献身的な姿勢には頭が下がる。Bは確かにメーソットで成功したミャンマー人かもしれないが、困っている人に手を差し伸べ続けるのは、誰もができることではない。なぜ自分の財産を投げうってまで、避難民を助けるのだろうか。私はBにストレートに聞いてみた。するとBは間髪入れずにこう答えた。
「俺だって生活は苦しい。だが困っているミャンマー人を前に助けないわけにはいかない。タイに移り住んで30年になるが、それでも俺はミャンマー人でミャンマーは俺の祖国だ」
逆境でも皆で助け合って国軍に立ち向かう。祖国を長い間離れた男の中にもミャンマー魂がしっかりと宿っていた。(続く)