
「覚えていない」
「AAPPは20年以上もミャンマー国軍の犯罪行為を告発し続けている。命の危険を感じることもあるはず。なぜそこまでして戦い続けるのか」
私は今回の取材のメインクエスチョンをストレートにぶつけてみた。するとコンゲは細い眼を見開き、こう返答した。
「これ以上、罪のない人が拘束され、拷問を受けることがないようにするためだ」
拷問。私はこの言葉を聞いてタイのプーケットで出会ったひとりのミャンマー人の青年を思い出した。彼の名前はジンココ。民主活動家だったジンココは2021年5月にミャンマー国軍に拘束され、諜報センターで激しい拷問を受けた。目隠しをされ、濡れた布切れで口をふさがれ、1日中暴行されたという。彼が見せてくれた傷跡は今も脳裏に焼き付いている。
もしかしてコンゲも、ミャンマー国軍に拘束されてひどい拷問を受けた経験があるのでは。私は彼に尋ねた。
コンゲは「そうだ。私も諜報センターで拷問を受けたひとりだ」とうなずく。コンゲは、1988年にミャンマーで起きた大規模な民主化運動(「8888民主化運動」と呼ぶ)の時の活動家だ。92年に国軍にとらえられ、6年間、ヤンゴンのインセイン刑務所に入れられた。
時代は違えど同じ国軍。コンゲもジンココと同じようにひどい拷問を受けたに違いない。私はどんな拷問を受けたのか、コンゲに恐る恐る聞いてみた。
「当時のことはあまり覚えていないんだ。記憶にあるのは、刑務所に早く行きたいとずっと思っていたことだけ」
私はこの言葉を聞いて背筋が凍った。
「覚えていない」というのは「思い出したくない」という防衛本能の表れだろう。そこまで精神的に追い詰める拷問とはいったいどんなものだったのか。20年も反国軍の活動を続けるコンゲの情熱の裏には、私たち日本人が想像もできないつらい拷問の体験があったのだ。
「AAPPのミッションはひとりでも多くの政治犯を解放すること。そしてミャンマーの若い世代に民主主義を残すこと。そのために我々は今、諦めるわけにはいかない」
こう話すコンゲの表情は決意に満ちていた。
インセインの独房室
「TK(筆者のこと)、ここには展示室もあるんだ。少し見学させてもらおう」
横に座っていたブワイがこう提案した。AAPPの展示室。見たいような見たくないような。だが、それを見ずしてAAPPの記事は書けない。
私は気を引き締め直し、展示室へと向かった。目の前に現れたのはピンクのペンキが塗られた小さなドア。高さは1メートルほどしかない。人ひとりがギリギリ出入りできる大きさだ。
「この展示室はインセイン刑務所を模倣して作られている。政治犯はみんな、この小窓のようなドアを通って、牢屋に入っていくんだ」
こう聞いて私は少し足がすくんだ。だがこんなことでビビッていては記事は書けない。私はブワイの後ろについて恐る恐るピンクのドアをまたいだ。
そこにはミャンマーの民主化の歴史を紹介する写真や資料が展示されていた。1962年の軍事クーデターに始まり、8888民主化運動、現在進行中の春の革命まで。アウンサンスーチーを筆頭に、現在とらえられている政治家や活動家の写真も並べられていた。
インセイン刑務所の独房室を再現した部屋もあった。薄暗い室内、汚れた床、蜘蛛の巣が張った天井。鉄格子の付いた小さな小窓から独房室には光が差し込む。片隅には洗面器のようなものが置いてあった。コンゲはそれを指差し、「トイレだ」と言った。
人間の尊厳や公衆衛生などはあったものではない。もし自分がここに拘留されたら、数日もしないうちに精神がおかしくなるだろう。