「(ミャンマー東部にある村の)レイケイコーに帰りたい。日本財団にはミャンマー国軍と交渉してほしい」。こう声を絞り出すのは、ミャンマー東部のカレン州で避難生活を送るミャンマー人の女性だ。彼女ら避難民は1年前まで、日本財団などが住居の建設を支援したレイケイコーに住んでいた。ところがミャンマー国軍は2021年12月、対抗する民主派勢力が隠れているとしてレイケイコーを空爆。約5000人が家を追われた。
首まで水に浸かる妊婦
レイケイコーを追われたミャンマー人が行きついたのはロホ避難民キャンプ。タイとミャンマーの国境を流れるモエイ川のミャンマー側にある。ここに住むのは600人ほど。ほとんどがレイケイコーからの避難者だ。
そのひとりが30代の女性、タンさんだ。
国軍は1年前の12月にレイケイコーを空爆。その後、200人の兵士をレイケイコーに送り込んだ。
「兵士が襲ってきたとき、生きた心地がしなかった」(タンさん)
彼女は当時、妊娠9カ月。銃弾が飛び交う中、大きなおなかを抱えて森に逃げ込んだ。タイ側に避難するため、首まで水に浸かりながらモエイ川を渡った。
「お腹の赤ちゃんが無事なのか、それだけが心配だった」(タンさん)
タンさんは15日後に、タイ側の町メーソットにある病院で男の子を無事に出産。生まれてきたわが子の元気な姿を見たとき、涙があふれたという。
だがタイでの安全な生活も長く続かなかった。タイ政府は2022年1月中旬、彼女ら難民をミャンマー側に追い返した。出産から2週間も経っていない中での強制帰国。行き場を失ったはタンさんは場所を転々としながら、ロホ避難民キャンプにたどり着いた。
木・竹・枯葉でできた家
ロホ避難民キャンプでの生活は楽ではない。家の骨組みは竹と木、屋根は枯葉で覆っただけ。激しい雨が降れば雨漏りし、突風が吹けば飛ばされてしまいそうだ。電気は通っていない。夜になると家の中は真っ暗だ。
「一番つらいのは、自立した生活ができないこと」
こう話すのは、ロホ避難民キャンプのリーダーを務めるミャンマー人の女性だ。ここには仕事がない。土地もないので農作業もできない。ほとんどの避難民は外からの支援に頼って暮らす。
リーダーの女性はかつて、レイケイコーでNGOの医療スタッフとして働いていた。収入を得ながら村民のために働けるその仕事に誇りをもっていたという。だが2021年2月に軍事クーデターが起き、NGOは撤退。そこに国軍の攻撃が追い打ちをかけ、家まで失った。支援に依存する今の生活にやるせなさを感じていた。