日本大使館前でプラカード掲げる
保芦さんは当時、国連や大使館の職員などが暮らす高級住宅地に住んでいた。だがインターネットが徐々につながらなくなった。ここにいてはミャンマー人が今、何を感じているのかわからない。こう思った保芦さんは、ダウンタウンに住む友人夫婦の家に身を寄せるようになった。
ミャンマーの市民は国軍に反対するデモ活動を始めた。保芦さんの友人たちもみんな、デモに参加する。だが保芦さんは躊躇した。
「2007年のサフラン革命のとき、日本人ジャーナリストの長井(健司)さんが撃たれて亡くなった。デモに参加するのは怖い」
だがある時、女性の友人が、保芦さんが寝泊りしていたダウンタウンの家に来てこう聞いた。
「今からデモに行くから、荷物をここに置いていってもいい?」
保芦さんはこの時のことをこう振り返る。
「彼女に対して『いいよ、行ってらっしゃい』とは言えなかった。男のプライドなのか。『俺も行く』と言ってしまった」
足取り重くデモに向かう。だが会場に着くと、予想に反してデモは平和的だった。プラカードを掲げたり、行進したり、どこかお祭りのよう。笑顔を見せるミャンマー人も多くいた。
保芦さんが感動したのは、デモの参加者が一斉に歌いだした時だ。ビルマ語がわからない保芦さんだったが、数千、数万のミャンマー人がともに歌う姿に胸を打たれた。
「起きていることは悲惨だが、こういったときにミャンマー人はひとつにまとまれる。この時の感動をずっと忘れたくないと思った」
保芦さんは以降、デモに毎日参加するようになる。人が多く集まるミニゴンの交差点やスーレーパゴダの周辺にも友人とともに足を運んだ。「不要不急の外出は控えてください」と日本人に注意喚起する在ミャンマー日本人大使館の前でプラカードも掲げた。