物乞いではないのか
日本に帰ってきた保芦さんは、軍政に反対して公務員や医師の仕事をボイコットする市民不服従運動(CDM)に参加するミャンマー人や、国軍の空爆などで故郷を追われた避難民のために募金活動をスタートした。新宿や吉祥寺など都内を精力的に動き回る。時には1日2カ所で寄付を募ることもあった。
2021年10月からは、東京・池袋にあるミャンマー料理屋「スプリングレボリューションレストラン」でホール兼皿洗いのボランティアも始めた。すべては大好きなミャンマーのため、ミャンマーで今も戦う友人のため。
だが募金活動を続けることは簡単ではない。ミャンマーを助けてくださいと訴えても、行き交う人は無視したり、白い目で見てくる。反対に罵声を浴びせられたこともあった。
保芦さんは言う。
「自分は乞食のようなことをしているのではないか、とたまに不安になる」
2022年に入ってから、寄付もなかなか集まらなくなってきた。ミャンマーのクーデターのニュースが少なくなるのと同時に、ロシアによるウクライナ侵攻が始まったからだ。保芦さんは、ウクライナ人も苦しんでいると断ったうえで、こう本音を口にする。
「世界の目はウクライナに向いている。先日、ユニクロにウクライナ支援の募金箱があった。いくら集まったのかと店員に聞いたら、 1カ月で180万円とのこと。(支援金が集まる)ウクライナが正直、うらやましい」
レトルトカレーを片手に闘う
だが保芦さんは募金活動をやめる気はさらさらない。それは同じ活動に参加するミャンマー人の一生懸命な姿に勇気づけられるからだ。
「募金活動に参加するのは、学生や技能実習生として来日したミャンマーの若者たち。勉強や仕事で忙しく、そのうえ募金活動をすると、1日2時間しか寝られない人もいる。それでも彼らは大きな声を上げて頑張っている。僕はミャンマーが自由になるまで、ミャンマー人と一緒に苦しみを分かち合いながら闘っていく」
こう話す保芦さんの武器は、もちろんカレーだ。保芦さんはレトルトのミャンマーのチキンカレー「チェッターヒン」(税込み896円。ビルマ語の「ヒン」は、ご飯のおかずになる煮込みの総称)を開発し、2018年に日本国内で売り始めた。
保芦さんはそのチェッターヒンをポップアップイベントで販売。その売り上げの半額、時には全額を寄付に回す。
2021年10月に新宿で開催されたミャンマー支援のイベント「スプリングフェスティバル」では、チェッターヒンを1000円で販売。総売り上げの半分となった7万円を、ミャンマーにネットワークをもつ国際交流団体「アジア子ども交流支援センター(AISCC)」を通じて現地に送った。2022年12月の北海道国際協力フェスタでも156個を買ってもらい、売り上げの半分にあたる8万円を寄付した。
保芦さんが寄付用にこれまで販売したレトルトカレーは合計で約500個。総売り上げの半分以上となる30万円以上を民主化への支援に回した。
カレーを使った寄付の動きは他の団体にも広がっている。CDMの参加者を継続的に支える非営利団体「ミャンマー民主化を支援する信州の会」も、保芦さんのカレー販売会社HIRO TOKYOからチェッターヒン3500個を購入。1100円で売り、定価との差額である200円余りを現地に送る。
保芦さんが開発したチェッターヒンはミャンマー人にとっても誇りだ。チェッターヒンはテレビ朝日の番組「かりそめ天国」で、カレーの有識者が選ぶレトルトカレーランキングでナンバー1になるほどの逸品。母国のカレーを「おいしい、おいしい」と言って日本人が買ってくれることにミャンマー人は勇気づけられているという。
保芦さんは2022年10月、新商品となる「ウェッターヒン」(ミャンマーのポークカレー)の販売も開始。より強力になったミャンマーカレーのラインナップで、保芦さんは日本とミャンマーをつなぎ続ける。
「多くの日本人にカレーを食べてほしいし、ミャンマーに興味をもってもらいたい。ミャンマー人の話を聞いて、友だちになってほしい。友だちが苦しんでいるときに黙っていられないから」
ミャンマーが再び自由になるまで。そして大切な友人とミャンマーで再会するまで。保芦さんは今日もレトルトカレーを片手に街頭に立ち続ける。(終わり)