支援入らず怒り
シリア北西部の被災者への支援は遅れた。物資が届いたのは地震が起きてから3日後の2月9日。ただそれは救援物資ではなく、地震の前から配布が予定されていた避難民のための生活物資だったという。
「地震が起きた直後、倒壊したビルから助けを求める声が多く聞こえた。だが重機がない。手でがれきをどかそうとしたが、天井などを動かすことはできなかった」
スラージュさんは、支援が遅れたのは国際社会の不手際だと感じている。
地震が起きる前は、国連が関与するシリア北西部への支援物資はトルコとの国境にある検問所を経由して入ってきた。だがアサド政権を支持するロシアは、こうした越境支援について安全保障理事会で繰り返し拒否権を発動。物資が通過できる検問所が4つから1つに減らされた経緯がある。
2月6日に起きたトルコ・シリア大地震では、トルコ側も大きな被害があったことに加え、検問所は1つだけ。シリア政府が追加でほかの2つの検問所を開くことを国連に許可したのは1週間後の2月13日だった。シリア北西部は現在も支援が十分に行き渡っていない。
「国連は救助支援が最も必要だった時に国境すら開けられなかった。今回の地震の犠牲者は国際政治(国際社会の失策と各国政府の国際的駆け引き)の犠牲者だ」(スラージュさん)
シリア紛争が始まって12年。苦しい生活を強いられてきた避難民を襲った未曽有の大地震。スラージュさんは苦しい胸中をこう語る。
「10数年前に革命(アサド政権の退陣を求め、民主化を進める運動)を始めたのは、テントに住むためや食料を乞うためではない。なのに地震が起きても誰にも助けてもらえない。そんな中、お情けでアサド政権に仕切られた支援を受けるなんて、耐えられない」