聖心女子大学グローバル共生研究所の大橋正明客員研究員はこのほど、同研究所が開いた講演会に登壇し、ミャンマーから逃れたロヒンギャ難民を受け入れるバングラデシュの状況について報告した。この中で大橋氏は「難民キャンプで暮らす95万人のロヒンギャ難民はミャンマーに帰るべきだが、実際は大半がバングラデシュにとどまるだろう」と指摘。バングラデシュの国籍を将来とる可能性もあるとの見方を示した。
多くのNGOが資金不足
大橋氏が1月に訪れたのは、バングラデシュ南東部コックスバザール県のクトゥパロン難民キャンプと、ノアカリ県のバサンチャール島の難民キャンプ。95万人のロヒンギャ難民はここで33カ所に分かれて暮らす。
大橋氏が強調するのは、バングラデシュの受け入れ国としての負担が限界になりつつある点だ。33のうち32の難民キャンプはコックスバザールのテクノフ郡とウキヤ郡に集中する。「2つの郡を合わせた人口は50万人超。その土地で、人口の2倍近い(95万人)難民を受け入れているのだから、相当な圧力だ」
こうした状況を受け、バングラデシュでは主に2つの問題が起きているという。
ひとつは雇用。バングラデシュで農業を営む地主が日雇い労働者を雇う際に払う1日の最低賃金は500タカ(約630円)だが、大橋氏によるとロヒンギャ難民は300タカ(約380円)でも働く。「地主は大喜び。しかし雇用されるバングラデシュ人の最貧層にとっては大問題だ」(大橋氏)
さらに大橋氏によれば、難民が来ると難民景気が起きるという。「国連や国際NGOが現地で事務所や車を借り、スタッフ、通訳を雇う。食堂も利用する。財産や能力をもともと持つ人だけが大儲けする」と話す。
ふたつめは治安の問題。ミャンマー国内で作られる錠剤型の覚醒剤「ヤーバー」の取引にロヒンギャ難民がかかわり、ロヒンギャの犯罪組織間での殺し合いも頻発するようになった。「女の子を外に出さなくなった」と訴える住民もいる。
大橋氏はこのほか、世界の関心がロヒンギャからウクライナに移ったことを懸念する。バングラデシュの難民キャンプで活動する多くのNGOは活動資金がままならない。NGOの活動を支援するジャパン・プラット・フォーム(JPF)も、ロヒンギャ難民を支援するNGOへの資金提供の大半を3月で終了する。
将来はバングラ国籍も
こうした状況にもかかわらず、ロヒンギャ難民がミャンマーに帰還するめどは立たない。大橋氏は「マレーシアなどに命からがら逃れていく一部のロヒンギャ難民を除き、大半はバングラデシュに残るだろう」と推測する。
ただロヒンギャ難民の帰還に向けた公的な取り組みはこれまでなかったわけではない。
バングラデシュ、ミャンマー両政府の間でロヒンギャ難民をミャンマーに帰還させる合意は過去2回あった。だがいずれも頓挫した。難民側が「(ミャンマーで1982年に新国籍法が制定されたと同時に失った)自分たちの国籍が戻り、財産と身の安全が保証されない限り帰国しない」と主張したためだ。ミャンマーで国軍による軍事クーデターが起きた2021年以降はこの動きも止まったままだ。
ではロヒンギャ難民は今後どうなるのか。
大橋氏はロヒンギャ難民について「バングラデシュが独立した年(71年)に100万人が無国籍の難民となったビハール人が直面した状況と似ている」と指摘する。
ビハール人は、英国からの独立を目指した1940年代にインド東部のビハール州などから東パキスタン(現在のバングラデシュ)に逃れた、ウルドゥー語を話すイスラム教徒のこと。ベンガル語を話すベンガル人を中心に、パキスタンから1971年に独立したバングラデシュでは、パキスタンへの帰還を求める多くのビハール人が難民キャンプに入った。
ビハール人は難民になって37年経った2008年に、バングラデシュの国籍を取得した。「ロヒンギャ難民もビハール人と同じように20〜30年後にはバングラデシュ人になる可能性もある」(大橋氏)