ミャンマー民主化運動の新アイコンは「Z世代」、弾圧逃れ来日した88世代が希望託す

4月13日から始まるミャンマー正月(ティンジャン)を目前に控えたヤンゴンのようす(4月11日撮影)。落ち着いているようにみえるが、民主主義を取り戻す運動は依然続いている

パソコンのリユース会社ピープルポート(横浜市)で働きながら、ミャンマーの民主化運動にも携わるティンウィンさん(68)はこのほど、特定非営利活動法人アジア環境・エネルギー研究機構が開催したオンライン講演会で、軍事クーデターから2年が経ったミャンマーの現状と展望を語った。このなかで「2011年の民政移管から10年間の自由を味わってきたZ世代(1990年代半ば~2010年代初めに生まれた)に希望を託したい」と期待した。

ミャンマーの民主化運動を語るうえで象徴的な出来事といえば、1988年8月8日に起きた大規模なデモとストライキだ。この民主化運動に参加した人たちを「88世代」と呼ぶ。このひとりであるティンウィンさんによると、2021年2月1日に起きた軍事クーデターに対抗する民主化運動と88民主化運動との違いは4つあるという。

一つ目は、民主化運動をリードする「アイコン」が変わったことだ。自由な社会を一度経験したZ世代が民主化運動に率先して参加し、先導役を務めている。ティンウィンさんは「Z世代は、言論や行動の自由を当たり前として過ごしてきた。『民主主義』という理念のためだけではなく、一度手にした自由を取り戻したいから戦い続けている」と話す。

1988年以来の民主化運動は、アウンサンスーチー氏のカリスマ性に依存してきた。ミャンマーでは2011年に民政移管し、2016年からはアウンサンスーチー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が政権を担ってきた。この点についてティンウィンさんは「今回の民主化運動の担い手であるZ 世代は必ずしも、アウンサンスーチー氏頼りではない」と指摘する。

二つ目は、インターネットとSNSの普及が今回の民主化運動を後押ししたこと。例えば、88民主化運動のときは紙のビラを秘密裏に印刷し、治安当局に見つからないように配っていたという。「だが今はSNSを通じて一斉にデモを呼びかけたり、軍政に対抗する少数民族の組織や遠隔地と連絡をとったりする」(ティンウィンさん)

インターネット・SNS戦略についてティンウィンさんはまた、「(ロシアによるウクライナ侵攻で)ウクライナ政府が力を入れる情報戦術も(Z世代は)参考にしている」と言う。デジタルネイティブのZ世代は実際、ミャンマーの民主派勢力を攻撃する国軍の残虐行為を動画で撮り、それを国内外に発信し、国際社会から支持を得てきた。

三つ目は、医師や看護師、教師らの公務員が、仕事をボイコットする「市民的不服従運動(CDM)」の担い手になっていること。これに対して88民主化運動の際は、ヤンゴン工科大学やヤンゴン大学などのエリート層である大学生がリーダーシップをとっていた。このときは国軍が学生を弾圧したため、民主化運動は尻すぼみになった。

ミャンマーでは看護師の約80%は女性だ。ティンウィンさんは「今回の民主化運動は88年と違って、女性が積極的に参加している」と語る。

四つ目は、ビルマ族以外の他の民族とも連携して民主化運動を進めていること。国軍に対抗し、民主派が立ち上げた国民統一政府(NUG)は、カレン族やカチン族をはじめとする少数民族とも共闘する。「88年は、人口の約7割を占めるビルマ族が主体である“偏狭なナショナリズム”の中での民主化運動だった」とティンウィンさんは振り返る。

ティンウィンさんは88民主化運動に参加したことで逮捕され、5カ月にわたって拘束され拷問を受けた。釈放後、NLDに参加。軍事政権の弾圧を逃れて1996年に来日し、2015年まで日本からミャンマーの民主化運動を支えた。NLD政権が発足した2016年に祖国ミャンマーに帰国したが、2021年2月に軍事クーデターが起きたことから再来日。日本で働きながら民主化運動を側面支援している。イスラム教徒。