インド・ラダック自治区にあるメンツィーカン診療所で笑顔を見せるチベット医療のレクシェイ・チョーツォ医師(右)とアシスタントのラクパ・ツェリン医師(左)。2人ともチベット医学天体科学研究所の卒業生だ
チベット医療は文化だ
チベット医療の起源は3000年以上も前といわれる。チベットの伝統医療に、中国の伝統的な医療、インドのアユルベーダなど近隣の地域の知識が交ざって、独自の発展を遂げた。
大きな危機に陥ったのは、中国共産党が1949年にチベットへ侵攻したときだ。以来、中国共産党はチベット語を禁止したり、寺院を取り壊すなど、チベットの文化を破壊していった。
このままではチベット医療も滅亡してしまう。危機感をもった一部のチベット人の医師らは1959年、ダライ・ラマとともにインドへ亡命。1961年にはチベットの古都ラサにあったチベット医療の研究機関「チベット医学天体科学研究所」を、チベット亡命政府が拠点を置くインド北部の街ダラムサラに立ち上げた。
チベット医学天体科学研究所はそれ以来、チベット医療の研究を進めると同時に、各地に診療所を開業していく。現在はインド各地に63の直属のメンツィーカン診療所がある。
この研究所はまた、チベット医療の医師を育てる教育機関の役割もあわせもつ。これまで多くのチベット医師を排出してきた。ラクシェイ医師も18期の卒業生だ。
「チベット医療を実践し続けることは、患者を救うだけでなく、チベット文化を残すことにもつながる」
こう話すラクシェイ医師はチベットの伝統衣装チュパを着て仕事する。チベット医学の本が並ぶ診察室の棚の上にはダライ・ラマの大きな写真が飾られていた。