「ベネズエラ人は国に帰れ!」 病院・学校・仕事場にも影を落とすコロンビアの難民差別

エルビア・エスピナ・ロペスさん一家(コムナ13にある福音派の教会の中で撮影)。エルビアさん(真ん中)、母ネルダさん(上段右)、長女ヘネシスさん(上段左)、次女ルットゥちゃん(下段右)、長男エリアスちゃん(下段左)

「病院へ行ったら、ベネズエラ人は診れない、とたらい回しにされた。それ以降、怖くて病院に行けない」。コロンビア第2の都市メデジンのスラム地区「コムナ13」で暮らすベネズエラ難民のエルビア・エスピナ・ロペスさん(37)は、コロンビアでの深刻な外国人嫌悪に肩を落とす。学校や仕事場でも差別がつきまとうコロンビアでの日々と、飢えに苦しんだ故郷での経験‥‥。二重のトラウマを背負い、彼女は生きている。

ベネズエラでは餓死する

「娘は、私に土下座をして『食べ物をください』と言った。その瞬間、もうベネズエラにはいられないと思った」。目に涙を浮かべ話すのは、メデジン旧市街の西にあるコムナ13で暮らす3児の母、エルビアさんだ。

エルビアさん一家がコロンビアへ避難したのは2019年。同年1月のベネズエラの物価上昇率を1年に換算すると268万%を超えた。ダントツで世界最悪だ。

夫はバイクタクシーの運転手をしていたが、バイクを盗まれ、収入源はゼロに。その後はコロンビアに住む夫の家族から仕送りを受けてなんとか生活していたが、それも打ち切られた。

「飢えをしのぐため、拾った果物を魚屋さんで交換してもらった。肉やコメ、豆はまったく食べられなかった」(エルビアさん)。耐え兼ねた一家は2019年6月、バスと三輪タクシーを乗り継ぎ、ベネズエラ第2の都市マラカイボから2日間かけてメデジンへやってきた。

ベネズエラ人は人殺し?

夫の父を頼り、一家が最初に滞在したのは、メデジン南部のイタグイ。「近所の人はベネズエラ人を気の毒に思い、食べ物や服を分け与えてくれた」(エルビアさん)。一家は、コロンビアで新たな生活をスタートさせた。

だが安堵したのもつかの間、一家をさらなる試練が襲う。夫の家族との関係が悪化したためコムナ13へ引っ越したエルビアさん一家は、外国人差別の対象となってしまったのだ。

「ベネズエラ人だから、という理由だけで、病院や学校で差別されたうえに、なかなか雇ってもらえなかった」(エルビアさん)

肺の病気を発症した、エルビアさんの長男エリアスちゃん(現在は4歳)は「ベネズエラ人は帰って」と数カ所の病院をたらい回しにされた。長女のヘネシスさん(同15歳)は学校に通っていたこともあったが、ベネズエラ人だからと蔑まれて進級できなかった。エルビアさん自身も「ベネズエラ人は要らない」と何度も言われ、仕事に就けなかった。

「泥棒や人殺しといったイメージをベネズエラ人に抱くコロンビア人も少なくない」(エルビアさん)

コロンビアへ来て3年。エルビアさんは「子ども3人は学校に通えていない。病院にも怖くて行けない」とこの国での苦しい生活を嘆く。学校側からは「ベネズエラ人を受け入れるスペースはない」と相手にしてもらえない。

差別だけでなく、逼迫した家計も一家にのしかかる。エルビアさんの夫の月収は最低賃金である116万ペソ(約3万4800円)ほど。エルビアさんも手芸の仕事で月30万ペソ(約1万円)を稼ぐが、家族5人を養うことは簡単ではない。

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