欧米並みに整理された街並みを誇るルワンダの首都キガリの裏側で、多くのルワンダ人が貧しさにあえいでいる。そのひとりが、2歳児を抱えるシングルマザーのシャロン・ルラングワさん。26歳。「人生は厳しい」と声を落とす。
月給わずか3600円
ルラングワさんの出身地は東部州のキラムルジ村だ。人口は2000人ほど。仕事はないという。人口およそ120万の大都市キガリには彼女のような地方出身者は少なくない。
ルラングワさんは継父と母、兄、弟2人、妹との7人家族で育った。実の父は、ルラングワさんが生まれてすぐに心臓の病気で他界した。継父は暴力こそ振るわなかったが、愛情を注ぐことはしなかった。「祖父母のところへ行け」と冷たくあしらわれてきたという。
地元の高校を卒業した後、ルラングワさんは実家から逃げるようにキガリへやって来た。ルワンダ人の家庭で、住み込みのメイドとして働き始めた。月給は3万フラン(約3600円)だ。
仕事は料理を作ったり、皿を洗ったり、洗濯したり、床にモップをかけたりと多岐にわたる。忙しかったが、雇い主は悪い人ではなかった。
2年働いて、中華料理屋に転職する。ウェイトレスの仕事は月収6万フラン(約7300円)。倍へとアップした。
中華料理屋で同僚だったブルンジ人の兄と恋人関係になった。ブジュンブラ出身のエンジニアだ。恋人とは、ルラングワさんの母語であるルワンダ語(ブルンジのルンディ語と相互に理解できる)で話せた。
最初は優しかった彼だが、ルラングワさんが妊娠すると態度が急変していく。「生まれた赤ちゃんの具合が悪くなったときに連絡しても、彼は『お金がない。5000フラン(約610円)もない』の一点張り。助けを求めるのは諦めた」
ルラングワさんは仕方なく故郷の村に帰った。継父は怒ったが、ほかに頼るところはなかった。
息子へ会いに行けない
ルラングワさんは1年前、再び上京した。人生を一からやり直そうと、今度はキガリでも有名な観光の専門学校「キガリ・エクセレント・ツーリズム・アンド・ホスピタリティ・アカデミー」に通った。6カ月のコースだ。学費は継父が出してくれた。
ルラングワさんはここで、コメやパスタ、肉、魚を使った料理の基礎を学ぶ。「料理が好きだから楽しかった」
その後、5つ星のラディソン・ブル・ホテルで半年間、無給のインターンとして働く。最初の3カ月はウェイトレスとして、次の3カ月はキッチンスタッフとして経験を積んだ。スープやサラダ、鶏肉料理を作った。9月6日にインターンは終わった。
いまは仕事を探す日々。探し方は人づてだったり、路上で見つけたレストランに飛び込みで入って「仕事はありませんか」と聞いたり‥‥。ただ見つけるのは簡単ではない。ルワンダでは1年ぐらい仕事を探すのも普通だ。
ルラングワさんはキガリでひとり暮らし。1カ月の家賃は4万フラン(約4900円)。「お金がなくて2カ月払っていない」
息子にも会いたい、とルラングワさん。「最後に会ったのは彼の誕生日(8月7日)。その前は5月。もっとひんぱんに会いに行きたいけれど、キガリと村の往復のバス代は6000フラン(約730円)もかかる。こんなお金があったら、靴やせっけんを市場で買って送るよ」と話す。