【チベット建築家・平子豊①】インド・ラダックで古民家や寺院を修復、始まりは1900キロの自転車の旅

チベットのラサにあるポタラ宮殿の前で撮った記念写真。チベット建築家の平子豊さんは1998年、新疆ウイグルのカシュガルからラサまで2700キロの道のりを自転車で走破した(写真は本人提供)

マイナス30度で指曲がらない

国外一時退去の後、なんとか中国の雲南省へと戻ることができた平子さん。だが公安に拘束されるなど危険を犯す息子を、親は心配し始めた。「日本に帰って、早く就職しなさい」とプレッシャーをかけるように。

だが平子さんは就職や収入に価値を置くライフスタイルに疑問をもっていた。

「もっと大切な価値が人生にはあるのではないか」

そこで頭に浮かんだのが、自転車の旅の途中で目にしたチベット人の五体投地だった。

「チベット人はなぜ、あんなに苦しい巡礼を笑顔で続けられるのか。お金や名誉ではない何かを、彼らはもっているのではないか」

こんな思いを胸に平子さんは1997年秋、2回目のチベットの旅に出発した。今度は新疆ウイグル自治区のカシュガルからカラコルム山脈に沿って南に下り、そこから東に向かってラサを目指す西チベットを巡るルート。移動手段はもちろん自転車だ。

誤算だったのは猛烈な寒さだ。この旅は前回と違って冬。旅の途中にある、300キロメートルにわたる無人地帯アクサイチン地区を抜けるには吹き溜まりにある雪で飲み水を確保した方がいいと友人に勧められたからだ。

だがカラコルム山脈からチベット高原は標高5000メートル級の世界。夜は氷点下30度にまでなる厳しい環境だ。

平子さんはある夕暮れ時、とある峠に差し掛かった。いつもは日が暮れた後は移動しないことにしていたのだが、その日はちょうどその時、雪が降り始めた。

「ここでテントを張っては間違いなく凍死する。暗くなる前に次の村にいくしかない」

こう思って峠を降り出した平子さんだったが、寒さで指が曲がらず、ブレーキをかけられない。このため進路を変える時はわざと転んで自転車を止め、その都度起き上がってジグザグの坂道を下った。深夜に村に着いた時、平子さんはボロボロで動けなかったという。

その後も聖なる山とされるカイラスを巡礼したり、プランという山間の村で降雪による足止めに遭ったりと難局を乗り越えながら、数カ月をかけてラサに到着した。

ラサに着いて驚いたことがある。ラサの人たちがみんな平子さんのことを知っていたのだ。なぜ自分のことを知っているのか不思議に思って街を歩いてみると、至る所に平子さんの写真のついた貼り紙が。平子さんの母親が、何カ月も連絡を寄こさない息子の安否を心配し、日本大使館を通じて捜索願を出していたのだ。

平子さんはラサ中に貼ってあった自分の張り紙を一枚一枚剥がし、母親に電話をかけた。息子の元気な声を聞いた母親は電話越しに泣き崩れたという。(続く

 

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