ラサの街並みが一望できるポンボリ山に登って、タルチョと呼ばれる祈祷の旗を掲げた時の写真。平子さん(左)とチベット・ヘリテイジ・ファンドの創始者であるアンドレ・アレクサンダーさん(右)、ピンピン・デ・アゼベードさん(中央)。3人は深い友情で結ばれていた(写真は平子さん提供)
70代の職人と運命の出会い
チベット・ヘリテイジ・ファンドが当時進めていたのが「ラサ旧市街地保存プロジェクト」だ。これはラサ市文物局をはじめとする行政と協力して、ラサの旧市街を保存地域に指定。寺院や古民家を守り、修復するというものだ。
そこで必要になるのが、チベット建築の知識と技術をもつ職人の確保だ。その土地の建材と特殊な技術を使うチベット建築には、その技術を継承する職人が不可欠。チベット・ヘリテイジ・ファンドはかつて、中国の国有建築会社に修復工事を依頼したが、満足のいく結果が得られなかった。
そんな中、出会ったのがチベット人で石工職人の棟梁パラ・ミグマラさんだ。ミグマラさんは当時すでに70歳を超えていたが、腕の立つ石工職人を多く抱えていた。また大工や、屋根や床の工事を専門にする女性の職人の知り合いもたくさんいる。
ミグマラさんという心強い棟梁の協力を得たチベット・ヘリテイジ・ファンドは、チベット建築物を次々と修復していった。ラサ市内で修復した歴史建造物は20棟あまり。ラサの中心寺院であるジョカン寺の裏側にあるムルニンバ寺も含まれる。修復活動を続けるチベット・ヘリテイジ・ファンドは多い時で300人の職人を抱える技術集団にまで成長した。
中国語が堪能だった平子さんは、建材の購入・管理の責任者として活躍する。
「これまでは在庫がなくなったり、採算が合わなかったりすることが多かった。業者や現地スタッフとコミュニケーションを密にとって、ずさんだった在庫管理を徹底した」(平子さん)
平子さんはまたチベット・ヘリテイジ・ファンドの会計や測量のアシスタント、ついには建築物の修復プランの図面を描くようになる。