国家ぐるみの嫌がらせ
ビーさんが警察から受けた仕打ちはさらに悲惨だ。2022年、サハラーウィの友人7人と地元のアッサで抗議デモをした時に警察に捕まった。最年少にもかかわらずグループのリーダーだったビーさんは、他の友人が釈放された後も拘束され暴行を受け続けた。
当時はラマダン(イスラム教の断食月)だった。日中は何も食べられない。にもかかわらずビーさんは日没後にも食事を与えられなかった。警察は勾留部屋の前でビーさんに見せつけるように夕食を食べていたという。
警察はまた、ビーさんを実家に連れていき、手錠をかけられた姿を家族の前にさらし、辱めた。それを見たビーさんの母は号泣した。
「身体的な拷問は我慢できる。だけど家族が悲しむ姿を見るのは耐えられなかった」(ビーさん)
ビーさんは拘束から2日後に釈放されたが、警察からの嫌がらせは終わらなかった。ラマダンの終わりを祝うイード・アルフィトルの時に再び拘束されたのだ。
「イードはムスリムにとって大切な日。そんな日にまた捕まって、私も家族も悲しみに打ちひしがれた。モロッコ当局はあの手この手でサハラーウィを追い込む」(ビーさん)
殺された学生は7人以上
殺されたサハラーウィ学生もいる。3人の友人だったアブディル・ラヒム・バドリさんだ。
バドリさんはアガディールの大学でサハラーウィの現状をモロッコ人学生に伝えていた。だが2018年、ナタを持った複数の男たちに大学の前で襲われ、殺害された。報道によると、救急車は何者かに行く手を阻まれ、バドリさんは流血したまま何時間も放置された挙句、命を落とした。
犯人は捜索されなかった。遺体は司法解剖されないどころか、家族の了承のないまま勝手に埋められてしまったという。
「今思いつくだけでもここ10年で7人以上のサハラーウィの学生が殺された」
コリカさんはこう下を向く。
抗議に加わるモロッコ人も
だが3人は抗議活動をやめるつもりはない。
「仲間が殺されて口をつぐむなんて、サハラーウィにとって最も恥ずかしいこと。死んだバドリのためにも、これからの若いサハラーウィのためにも、私たちは戦い続ける」(ベドリーさん)
3人が力を入れるのは、モロッコ人の学生に西サハラの現状を伝えることだ。学内で友人を作り、信頼できる人から西サハラで起きている人権侵害の話をしていく。
「学生は若くて賢い。サハラーウィの苦しい状況を説明すれば理解してくれる。最近は抗議デモに参加してくれるモロッコ人の学生も出てきた」
ベドリーさんはこう手応えを口にする。
サハラーウィの苦しみやモロッコ政府の横暴を知る人は少ない。なぜならモロッコ政府がメディアをコントロールしているからだ。
「モロッコの主要メディアは政府の言いなりだ。『西サハラはモロッコの一部』とするモロッコ政府の方針に反する報道は一切しない。海外のメディアやジャーナリストも西サハラに入れない」(ベドリーさん)
この結果、モロッコ人のほとんどがサハラーウィに対する人権侵害を知らず、「西サハラはモロッコの土地」「アルジェリアがポリサリオ戦線を使って西サハラを奪おうとしている」というモロッコ政府のプロパガンダを信じているという。
そんな現状を変えようと、3人は命の危険を犯してモロッコ学生に真実を伝える。
「西サハラの現状を知るサハラーウィの学生が人権侵害の事実を広めていく。これは私たちに課せられた使命だ」とコリカさんは力強く言い切った。(続く)