軍政に抵抗してバンコクに逃れた元大学教員のミャンマー難民、母国の若者に数学を教えるのが生きがい

ミャンマー国軍に捕まりそうになったサヤーレオツさんは身の危険を感じ、バックパックひとつでミャンマーからバンコクに逃げてきた(サヤーレオツさんらミャンマー難民3人が身を寄せ合い暮らす部屋の中で撮影)

「私にとって一番大切なものは、(ミャンマー国軍に奪われた)デモクラシー(民主主義)と教育を取り戻すこと」。こう語るのは、タイ・バンコクでレストランのシェフの仕事で生計を立てながら、ボランティア教師を務めるサヤーレオツさん(40歳)。彼は、軍のコントロール下に置かれた大学の教員を辞め、2022年7月にミャンマー・シャン州からバンコクに逃れてきた難民だ。

若者の学びを止めてはいけない

真剣な眼差しと時折見せる優しげな笑顔が印象的なサヤーレオツさんは週6日、朝8時から夕方の5時までバンコク中心部のレストランでシェフを務める。月給は1万8000バーツ(約7万6500円)。家賃4500バーツ(2万円弱)の、広さ8畳程度の部屋でミャンマーから逃れてきた仲間2人と暮らす。「タイは物価が高く、ミャンマーに残したお母さんへの仕送りもあり、生活は楽ではない」と話す。

レストランから帰宅した後、サヤーレオツさんは週5日、ウェブ会議ツールのズームを使って、ミャンマー在住の大学生600人に数学を教える。“本業”のシェフの仕事に加えて、1日2時間の授業。日々の生活が必死なのにもかかわらず、サヤーレオツさんがここまでするのには理由がある。

ミャンマーでは2021年2月に軍事クーデターが起きて以降、民主主義が奪われたことに反対して職務をボイコットする人が相次いだ。これを「市民的不服従運動(CDM)」と呼ぶ。サヤーレオツさんだけでなく、CDMには多くの大学教員も参加した。軍は教員不足を補うために経験不足の若者を採用した結果、教育の質は低下したという。軍政に抵抗してあえて大学に通わない若者も少なくない。

実はサヤーレオツさんは海外に8年留学した過去をもつエリートだ。「(海外に住んで)民主主義の大切さに気づいた」と語る。

「ミャンマーの将来を背負って立つ若者の学びを止めてはいけない」という使命感に駆られるサヤーレオツさん。大学教員の職務をボイコットしたことで授業を受けられなくなった若者への罪滅ぼしの意味もあるのかもしれない。

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