バンコク在住14年のミャンマー人青年「タイに来たのは正しい決断だった。でも幸せではない」

ニェインチャンさん。ヘアサロンの開業を夢見る妻のタンモーさんに髪を切ってもらっている(バンコク中心部の自宅で撮影)

一時帰国は14年で一度のみ

タイに来てから14年、故郷のモン州の村パウンに暮らす母と妹のもとへ帰ったのは一度のみ。父親はカレン州北部のコーカレイで物流業を営んでいたが、再会は叶わず、数年前に他界した。父が住んだ家は、軍事クーデターが勃発した後、国軍の空爆で焼失した。「母の面倒を見るようにいつも父から言われていた。パウンに帰りたい」と俯きがちに話す。

ニェインチャンさんは妻と二人暮らしだが、2歳になる子どもがいる。夫婦とも同じバー「マルカス」で働くため、生後3カ月でモン州にある妻の実家に預けた。朝、昼、夕方の3回フェイスブックでビデオ通話をするのが日課だ。

現在の世帯月収は3万バーツ(約12万7000円)。そのうち2000バーツ(約8500円)をそれぞれの実家に、3000バーツ(約1万3000円)を子どもに送る。合計7000バーツ(約3万円)は月収の4分の1近い。「ミャンマーの情勢が良くなったら、いつでも故郷に帰れるようにお金の準備はできている」

「タイでの生活に余裕が生まれたら、子どもを呼び寄せて一緒に住みたい」と将来を思い描くニェインチャンさん。タイに来た頃はミャンマー料理店の経営を夢見て一度は開業したものの、タイ人が経営する近くの店舗に嫌がらせを受けて閉鎖に追い込まれた。

今はヘアサロンを開業したいという妻の夢を応援する。ヘアサロンの待ち時間で提供するスナックやソムタム(タイのパパイヤサラダ)を作りたいという。「ソムタムはすりつぶすテクニックが大事なので練習したい」と笑みをこぼす。

キャベツと一緒にタイへ入国

ニェインチャンさんがタイに来たのは、2011年にミャンマーが民政移管される前。当時は経済が冷え込み、タイでの生活に憧れた。ミャンマー人の友人2人に誘われ、タイへの不法入国を決めたという。

約20人を乗せたトラックで3日かけて国境を越えた。荷台の一番下に6、7人が横たわり、その上に木の板を敷き、さらにその上に人が横たわる3層構造で運ばれた。ニェインチャンさんは最下層に乗ったが、敷物や枕はない。トラックの荷台は、目隠し代わりにタイへ輸出するキャベツで周囲を覆われた。手洗い休憩はなく、停車するのは1日2回、1回30分の食事の時のみ。車酔いで吐く者もいた。荷台が汚れてもトラックは走り続けた。「怖かったが、友人も一緒だったからワクワクもしていた。不思議な体験だった」と振り返る。

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