バンコクのタイ料理店でバイトするミャンマー難民のZ世代、平穏な毎日を過ごす

ミャンマーの伝統料理であるラペットゥ(お茶の葉のサラダ)をジュさんが作って、記者たちに振る舞ってくれた。人生の中で一番大切なものは何、と尋ねると「心の安らぎである両親。次に、自分の将来と自由も欠かせない」ジュさん(ジュさんらミャンマー難民3人が暮らす家の中で撮影)

街中を自信をもって歩く

ジュさんは現在、兄と同じタイ料理レストランで、野菜を切る担当のアルバイトをしている。1日8時間労働、週1の休みで月給1万5000バーツ(約6万3000円)だ。今の仕事に「とても満足している」と語る。ミャンマーで警備員の仕事をしていた時は1日12時間労働、休みは月にわずか2日で月給はバーツ換算で1万バーツ(約4万2000円)だった。

「タイ人とは言葉は通じないけれど、ジェスチャーで意思疎通をしている。最年少としてかわいがられているんだ」

休日は兄とサッカーをしたり、またジュさんはキリスト教徒なので、日曜日はミャンマー人の友だちと教会で会ったりする。市場など、警察がいそうな人混みが多いところには行かない。なぜなら彼は不法入国してきたからだ。しかし彼は「ミャンマーにいた時のように、バンコクではBGFやミャンマー国軍からの徴兵を恐れる必要はないから生活しやすいんだ。街中を自信をもって歩くことがタイの警察に話しかけられないコツ」と笑って話す。

「ミャンマーにもし帰ることができたら、小さな魚屋を経営したい」とジュさん。釣りがもともと好きで、自分でビジネスをすることが大きな夢なんだと明かす。タイに避難する前からその夢をもっていて、その実現に向けて、今はレストランのアルバイトで稼いだお金を貯金している。

ジュさんの家のキッチン。古くからのタイの家にはキッチンがないため、ベランダで調理をする

ジュさんの家のキッチン。古くからのタイの家にはキッチンがないため、ベランダで調理をする

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