軍政に抵抗して大学教員を辞めたミャンマー人男性、バンコクに逃れた今の夢は日本で料理人と教師の二刀流

終始、微笑みを絶やさず穏やかに語るハンさん。その瞳には教育への情熱が宿る(バンコクの自宅で撮影)

友人が殺された。だから逃げた

ハンさんは2017年から、ミャンマー南東部のタニンダーリ管区にあるダウェイ大学で数学を教えていた。朝9時から午後3時まで大学で教え、その後は午後10時まで、小中学生向けの家庭教師と20人の生徒が参加する授業も掛け持った。大学での勤務は4年目を迎え、助手(tutor)から助教(assistant lecturer)への昇進を控えていた中、軍事クーデターが発生。国軍が情報へのアクセスを遮断する状況に憤りを覚え、1週間後にCDMに参加したという。

その後、居所を知る国軍や警察から逃れたのはシャン州の州都タウンジー。同じくCDMに加わる数学教師と2人で小さなミャンマー料理屋を始めた。開業に必要な資金は自分たちで集めた。売ったのはミャンマーのパパイヤサラダ「ティンボーディートウッ」や麺料理。1日8000チャット(約530円)を売り上げたが、経費を引いて手元に残ったのは5000チャット(約330円)だった。

教壇には立てなくなったが、オンラインでのボランティアに切り替えて子どもたちへの授業を続けた。「子どもたちの保護者はCDMへの参加に賛同してくれた」と話す。3年ちょっと前から、すでに料理人と教師の二刀流だった。

しかし、レストラン開業から8カ月後、国軍や警察に居場所を知られたと知人から聞き、レストランを閉めざるを得なくなった。捕まって投獄されることが怖かったため、両親を残してタイへ逃れることを決めたという。

「(同じく大学教員をしていた)1人の友人は、投獄されて激しい拷問を受け、殺されたと思う」と沈痛な面持ちで語る。CDMは身の危険を伴うが、「民主主義によって国は発展し、開かれる。民主主義への支持を示すためにCDMを止めるつもりはない」(ハンさん)。

テーブルに印字されたタイ文字表を見ながらタイ語を勉強する(バンコクの自宅で撮影)

テーブルに印字されたタイ文字表を見ながらタイ語を勉強する(バンコクの自宅で撮影)

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