ミャンマー軍政への抗議デモに明け暮れた60日、いまはタイで放心状態

クンテットさんの友人の部屋クンテットさんのミャンマー人の友人が暮らす部屋(バンコク)

「いま帰ったら、すべての努力が無駄になる」。母のこの一言が生きるモチベーションになっていると話すのは、タイ・バンコクに逃れたミャンマー難民で、現在は無職のクンテットさん(25歳)。ミャンマーにいたときは軍政に対する抗議デモを繰り返した。国軍から召集令状が届いたため、2023年1月にバンコクに不法入国。仕事を始めたが、タイ政府が難民の取り締まりを強化したため、働くのをやめた。

仲間は射殺された

クンテットさんは2015年に高校を卒業した後、ミャンマーのヤンゴン・ダゴン地区にあるおじの会社で自動車を売る仕事を始めた。月給は250万チャット(2015年のレートで計算すると約20万円)と高給取りだった(ミャンマーの平均月給は約3万円)。タイや中国から輸入した車や、車を分解して取った部品を売っていた。

軍政への抗議デモに参加したのは2021年の2カ月間。クンテットさんが22歳の時だった。始めた当初は叫びながら行進するだけの非暴力な方法だった。だが次第に暴力化し、火炎瓶を投げたり、矢を放つといった過激なやり方にエスカレートしていった。

「警察がビルの上から発砲したことが忘れられない」とクンテットさん。15人前後の抗議デモ参加者のうち、クンテットさんの隣にいたひとりの女の子が暗闇の中、ライターを灯した。その瞬間、警官が発砲。彼女を殺した。

「僕は武器はナイフしか持っていなかった。本当は警察と戦いたかったが、必死で逃げた。とても気が動転していた」(クンテットさん)

過酷な経験をしたが、その後も再び抗議デモに参加した。砂袋を道路に何個も積み上げ、警察の行く手を阻もうとした。警察は足止めされたのを知り、砂袋を燃やし始めた。

また「抗議デモをやっている」と通報した3人のミャンマー人が抗議デモの参加者に燃やされた事件も起きた。「焼死体は顔もわからない状態だった。テレビでこの騒ぎを見た警察が抗議デモ参加者のほとんどを逮捕したんだ」。クンテットさんは幸い、逮捕される前に、実家のあるモン州のモーラミャインに逃げたという。

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