人気レストランを経営するコロンビア国内避難民「願いが叶うなら生まれ故郷に帰りたい」

コロンビアの国内避難民アドルフォ・インカピエさん。ベジョで自ら経営する郷土料理レストラン「ラ・ムラ・パイサ」で撮影

「願いごとが叶うなら、今すぐ生まれ故郷に帰りたい」。こう語るのは、コロンビアの国内避難民アドルフォ・インカピエさん(61歳)。メデジン郊外のベジョで郷土料理レストラン「ラ・ムラ・パイサ」を経営する。極右ゲリラのパラミリタレスから逃れるため、メデジンから東へ100キロメートルのところに位置する故郷のサンラファエルを2002年に脱出。2013年にベジョでレストランを始めた。 

極右ゲリラ兵を運搬

「今生きていることに感謝している。家族と一緒にもっと生きたい」

パラミリタレスがインカピエさんの地元に入ってきたのは1995年。それ以前は左派ゲリラの「コロンビア革命軍(FARC)」が緩やかに支配していたが、インカピエさんを含めたほとんどの住民には影響がなかった。ところがパラミリタレスが支配してからは暴力が激しくなった。地元の市長選挙に立候補したインカピエさんの兄は1998年、パラミリタレスに銃で殺された。投票日の1カ月前のことだった。 

インカピエさん自身の生活も大きく変わった。以前はコロンビア全土をカバーするトラック運転手として生計を立てていたが、パラミリタレスが近隣地区の住民を虐殺しに行く際、移動するための運転手として働かされた。インカピエさんの大型トラックは重宝されたという。

「パラミリタレスの兵士たちを乗せて走っているとき、路上に死体が転がっているのを見たこともあった。時には威嚇目的で兵士たちは銃を空に向けて撃った。とても怖かった」  

そうした日々が続いていたが、パラミリタレスに加担している生活にいい加減耐えられなくなった2002年。生まれ故郷のサンラファエルを家族とともに去る決心をした。親しい友人に打ち明けたところ、「誰にも告げずに行け。さもないと命の保証はない」 と言われた。

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