「人生はそんなもの」、聖書の教えと受容の精神で息子を殺した犯人を許すコロンビア国内避難民

コロンビア国内避難民のサンバトールさん。左派ゲリラ「コロンビア革命軍(FARC)」に身代金を何度も要求されたことで故郷のネイバを22歳で離れる。ボゴタで3年間、学生生活を送ったのち、きょうだいのいるメデジンへと引っ越す

「アシ・エス・ラ・ビダ(人生はそんなもの)」とスペイン語で語るのはコロンビア国内避難民のオルランド・サンバトールさん(60歳)。彼は国軍兵士やマフィアに家族4人を殺された過去をもつ。現在はコロンビア・メデジン郊外のべジョで妻と娘と一緒に暮らす。サンバトールさんが道を踏み誤ることなく生きてきたのには「人を許す」という聖書の教えがある。

殺人も間違いのひとつ

サンバトールさんに初めて不幸が降りかかったのは1978年。左派ゲリラが政界進出のために作った政党「愛国連合(UP)」に所属する兄が、当時の右派政権傘下の国軍の兵士に暗殺されたのだ。殺害には理由が必要であったため、コロンビア政府は兄に強盗犯の濡れ衣を着せ、新聞に掲載することで政府の正当性を民衆に主張した。

この事件の後、サンバトールさんのもう一人の兄と姪も殺された。また2020年にはタクシードライバーとして働いていた息子(当時22歳)がマフィアに殺された。原因は、決められたテリトリーを無視して営業したドライバーと勘違いされたからだ。

縫製工場で働いていて抜けられなかったサンバトールさんは、息子の殺害現場に駆け付けることができなかった。遺体はすでに警察に運ばれていたため、最後に息子の顔を見ることすら叶わなかった。「死因を教えてほしい」と警察に頼んだものの、教えてもらえず、怒りが込みあげてきた。

その後も車に残った証拠を警察に提出し、調査を依頼したが、まったく取り合ってくれなかったという。死後3日後には埋葬された。

サンバトール夫妻の精神的ショックは大きかった。息子の死の翌日は一日中泣いた。翌々日にサンバトールさんの妻が自殺を図る。これを止めるのにサンバトールさんは必死だったという。

5日後には勤務先からもらった特別休暇を使い果たす。喪失感のあまり仕事が手につかず、一時はやめようとした。だが一家の大黒柱であるサンバトールさんには働き続けるしか選択肢はなかった。コロンビア政府に金銭的援助を求めたが断られた。

これだけ多くの死を経験したサンバトールさんに加害者に恨みはないのか、と尋ねると、返ってきた答えは「ノー。まったくない。殺人も人生の中で犯す間違いのひとつだから」。これにはカトリックの隣人を愛し、許すことを大切にするという教えも寄与している。

とはいえサンバトールさんは「せめて犯人がだれだか知りたい。牢屋にも入ってほしい」と吐露するなど、揺れ動く心情をのぞかせる。

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