ラオス北部のゴールデントライアングル経済特区には、ピンクのネオンに包まれた置屋通りがある。ここで働くのはラオスやベトナムから来た貧しい女性たちだ。ラオス人の風俗嬢は「置屋での仕事は楽ではない。でもそれ以外に選択肢はない」と嘆く。(第1回はこちら)
朝の置屋訪問
置屋通りは朝8時、多くの人が行き交っていた。仕事に向かうミャンマー人、朝食をとる中国人、だが圧倒的に多いのがドレスアップした風俗嬢だ。
置屋のサービスは、短時間で性行為をする「ショート」と、客の部屋で一晩を過ごす「ロング」がある。通りにいるのは、ロングの仕事を終え、職場兼自宅である置屋に帰る風俗嬢たちだった。
私は、取材のアポを前日の夜にとった置屋を訪ねた。パジャマにすでに着替えた女性たちが携帯電話を触っている。部屋の奥では2人の女性が朝から鍋を食べていた。「アポを昨日とった子に会いたいんだけど」と尋ねると、パジャマ姿の女性は階段を上って呼びに行ってくれた。
数分後に眼をこすりながら降りてきた女性の名前はアンリ。ラオスの首都ビエンチャンの出身だ。20歳とのことだが、見た目はもっと若く感じる。受付の部屋のソファーに座ったアンリは、起きたばかりからか、焦点が定まらずボーっとしている。
「この子は昨夜遅くまで働いてたからまだ眠いのよ。(アンリが)起きるまでこれでも食べたら?」
奥に座っている女性がこう言って、箸で鍋を指した。近くの屋台で買ってきたであろう真っ赤な鍋だ。ラオス料理はタイ料理と並んで激辛で有名。彼女は「辛くないから大丈夫」と勧めるが、真っ赤なラー油が浮かんだ鍋が辛くないはずがない。
私はお言葉に甘えつつも、危険なスープを飲むことは避け、ところどころで浮いているウインナーを箸でとって食べた。
鍋を勧めてくれたのは、ラオスの南部の街パクセ出身のティップ(22歳)。置屋では年齢が上のほうなのか、よくしゃべって場を和ます面倒見のいいお姉さんといった風貌だ。
私はアンリの前に、ティップから話を聞くことにした。