
大事なところはカンバ語で
英語が「理解の障壁」だと考えた私は実験的に、スワヒリ語と片言のカンバ語を混ぜ、文字式の四則演算を1時間だけ説明してみた。また、生徒同士の教え合いでカンバ語を使うことを許可。すると普段の正答数は10問中3問なのに7問に上がった。いつもは消極的なムティンダさん(14歳)が「ここの問題をどうやって解くのか教えて」と友だちに自ら進んで質問する姿を見て、私はニンマリした。
「きょうの授業、どうだった?」。手応えを知りたくて私が尋ねると、「カンバ語で説明してもらったほうが劇的にわかりやすかった」と生徒たち。その一方で、おとなしめの生徒たちは「スワヒリ語やカンバ語でも先生の説明でも難しかった」と話す。数学の理解度が低い大きな原因のひとつはやはり、「言語の習熟度の低さ」だといえそうだ。
言葉の壁を目の当たりにした私は、ケニア人の同僚教師のチェゲさん(社会科、37歳)に相談した。彼は「基本は英語で授業をしているけれど、生徒に覚えてほしい部分はスワヒリ語で説明している」とのこと。他の教師たちも「生徒の英語力のなさに困っている。重要な部分はスワヒリ語、本当に必要な時はカンバ語を使う」と口をそろえる。
言葉の壁に悩んでいたのは日本人の私だけではなかったのだ。
2言語社会のシンガポールがトップ
興味深い研究結果がある。
日本認知心理学会は2016年、「3歳までに思考の基盤となる言語が1つに定まっていないと、思考力が伸びにくくなる可能性がある」と発表した。この話をチェゲさんに伝えると、「その研究は正しいと思う。僕も学生時代は英語とスワヒリ語が得意でなくて、授業についていけなかった。高校生で両方の言語を理解できるようになり、各教科の理解が進み、数学の点数もようやく伸びた」と自らの体験を語ってくれた。
私はケニアに来る前、子どもたちの学力が伸び悩む原因に「母語の習熟度や多言語話者であること」が関連しているとは考えていなかった。しかし、多言語話者でも学力が高い例はある。例えば、シンガポールでは母語と英語の2言語話者でありながら、2022年のPISA(OECD生徒の学習到達度調査)で読解力と数学的リテラシーの2つの分野で、また2023年のTIMSS(国際数学・理科教育動向調査)で小中学校ともに1位を獲得している。
ケニアは部族語、スワヒリ語、英語の3言語話者。シンガポールと比べ、学習のハードルは高い。現時点で私は「言語の習熟度」が「思考力」に影響する可能性があると考えている。今後も調査を進めていきたい。