職務をボイコットしたミャンマー人の元公務員、支援する側から「される側」へ

ピエ氏(右)。「CDMに参加したミャンマー人」だから強烈な性格の持ち主かと思いきや、とつとつと話す温厚な青年だった

農作業したことない

チェンマイに来て2年3カ月あまり。ピエ氏は「支援される側」に回った。

ヤンゴンから丸2日かけてバスでタイとの国境まで行った。入国管理局のない場所を選んで歩いてタイ側へ渡り、タイのメーサイからはエージェントの用意した自家用車にひとりで乗ってチェンマイまで来た。生活を始めるにあたって友人宅に身を寄せることにした。

チェンマイでは仕事をせず、同居する友人に面倒をみてもらっている。民主化運動のための資金的サポートも今はしていない。ことさら仕事を見つけようとしないのは「身の安全を守るためチェンマイにやって来たのであって、仕事をするためではないから」(ピエ氏)。

ミャンマーでは家族の中に優秀な子どもがいると、特別扱いされ、大切に育てられる文化があるという。マンダレーで農家の7人きょうだいの4人目の子どもとして大切に育られたピエ氏は、農家の生まれだが「農作業をやったことがない」。両親と、3人の兄と3人の妹は結婚し、農業を続けている。ピエ氏は家族の中でただ一人都市部に出て役所勤めをしていた。

「ミャンマーが民主化したら戻るつもりだ」と話すピエ氏。いつごろ戻れると思うかと聞くと「最近は少し悲観的になっている。帰国できるのは10年後になるかもしれない」と答えた。

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