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軍政に奪われた勉強の場
ミャンマーで国軍が全権を掌握した2021年2月、ダウェイ工科大学の学生連合に所属していたシュウンさんは、授業のボイコットなどをする「市民不服従運動」(CDM)を友人とともに開始した。民主派勢力の軍事訓練に参加して今も捕まったままだったり、国軍の空爆を受けて死にかけたりした友人もいるという。
彼女の勉強と民主化運動の場は国軍に奪われた。彼女が土木工学を学んでいたダウェイ工科大学は軍事クーデターを契機に閉鎖。オンライン授業をシュウンさんが受けていた実家の村のインターネットも、国軍が完全に遮断した。民主化運動を支援するための情報を収集する仕事もオンラインでしていたため、その活動も続けられなくなった。
国軍がしたのは通信環境の遮断だけではない。食料や医薬品、燃料を村へ運ぶための道を塞ぎ、電気を止め、2024年2月には空爆を開始した。「飛行機の音が聞こえると、村人は隠れる場所を探して走った。一晩中恐怖におびえながら眠り、もうここにいてはいけないと感じた」と語る。
10カ所以上の検問ゲート
2024年4月、シュウンさんはタイへ逃れる決心をした。ダウェイを車で出発してミャンマー南東部のモーラミャインへ北上。東へ走ってタイとの国境にあるミャワディを越えた。タイ側のメソトに1カ月滞在し、その後さらに北上。同年5月末にチェンマイにたどり着いた。
シュウンさんのタイへの道のりは「資金難」と「身の危険」の二重苦だった。そもそも5人家族全員で逃げられるほど経済的に余裕はなかった。このため彼女だけが友人1人とタイへ向かうことに。故郷からチェンマイまで必要な費用を自前でまかなえず、友人からお金を借りた。
国境に着くまでに10カ所以上あった国軍の検問ゲートを通るため、1人当たり2000~5000チャット(約140~360円)を払った。「払わないと銃を背負った国軍兵士に撃たれるのではないかと怖かった」。メソトからチェンマイへは1万5000バーツ(約6万7000円)をエージェントに渡して移動したが、シュウンさんは何の身分証明書も持たずに逃げたため通常より高額な請求を受けたという。
避難先のチェンマイにやってきたシュウンさんを待っていたのは、異国の地で温かく迎えてくれた友人だった。「ミャンマーで一度しか会ったことがなかったのに、私にとってはいまや、きょうだいのような存在」。新たな生活の扉が開いただけでなく、自分の未来をより良くするために「挑戦しようと決意した」とシュウンさんは前を向く。
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シュウンさんがタイへ逃れる際に立ち寄った、ミャンマー南東部のモン州モーラミャインにある「ラマナ・ナイトパーク」