ナイジェリアの出稼ぎからベナンに帰ってきた綿花農家の男性、「子どもに同じ仕事はしてほしくない」

ベナン南西部のドボ市アホメ村で綿花を栽培するダビ・アベコさん(55歳)。若いころはナイジェリアで出稼ぎをしていた。写真は自宅の隣にある畑。家族が食べる野菜や果物を育てる

家業を継がせないのは稀

アベコさんには11歳、14歳、17歳、20歳の4人の子どもがいる。休日も、村の広場で友人とトランプをして遊ぶのではなく、ニンジンなどの野菜を畑で育てるほうが良いと語る。「子ども全員を学校に通わせるためだ」(アベコさん)

上の2人の子どもはすでに大工と美容師の見習いとして働く。農業はしていない。下の2人の子どもは、小学4年生と村の中・高校の2年生(ベナンの中等教育は6年生)だ。

アホメ村では、子どもがだれも親の家業を継がないのは珍しい。下の2人の子どもの将来についてアベコさんは「農業は経済的にも体力的にも厳しい。だから子どもたちには別の仕事をしてほしい」と胸中を明かす。

ナイジェリアへは戻らない

アベコさんは実は1994年から10年間、自分が生きていくためにナイジェリアで出稼ぎをしていた。1年目は家事手伝いとして働き、2年目は空港で荷物運搬の仕事に従事した。だが最初の2年は収入を得られなかったという。

アベコさんはナイジェリアで出稼ぎに行く際、仕事を斡旋してくれるエージェントを使った。「エージェントは通常、出稼ぎ労働者に雇用先が払う給料を受け取る。手数料を差し引いた後、残りを本人に渡す仕組みだ。だが私のエージェントは一文もくれなかった」(アベコさん)

この状況を打開したかったアベコさんは建材用のブロックを作る仕事に転職した。この会社はエージェントを通さず、アベコさんは報酬を全額受け取れた。日当3000CFAフラン(約714円)だった。

ところがアホメ村に住んでいた母が2004年に他界。実家を守るため、やむを得ず故郷へ戻ることになる。

「ナイジェリアの通貨ナイラの価値が下がり(2003年は1米ドル138ナイラ、2025年は同1501ナイラへと11分の1に)、十分な収入を得るのが難しくなった。だから、もうナイジェリアには戻りたくない」とアベコさんは笑いながら語る。

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