カンボジアのトランスジェンダーの人権活動家スー・ソティアヴィ(Sou Sotheavy)氏(75歳)が、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の権利保護と向上のために優れた勇気と指導力を発揮した個人に贈られる「デイビッド·カト ビジョン&ボイス賞」を受賞した。ソティアヴィ氏は、カンボジアのLGBTを支援する組織の全国ネットワークを確立するために20年余りにわたり力を注いできた。授賞は2月、ベルリン国際映画祭で最優秀LGBT映画に贈られるテディ賞の発表と併せて行なわれた。
■ポル・ポト派はLGBTを弾圧していた
カンボジアの公用語であるクメール語には男性(bros)と女性(srey)のほかに、中間の性を表す「kteuy」という単語がある。カンボジア人の伝統的な社会規範(Mores)をみれば、「第三の性」とも呼ばれるkteuyの人々に対する認識や理解は一定程度あり、同性愛に比較的寛容な国民性であることがわかる。その一方で、LGBTの権利保護に関する法律は整備されておらず、カンボジア社会には現在もLGBTへの偏見や差別が存在している。
ソティアヴィ氏は「カンボジア政府とメディアは、いまだにLGBTの人々を普通の人と同じようには見ていません。私たちはkteuyと呼ばれていますが、それは適切な言葉ではありません」と、社会全体の理解、認識不足を指摘する。
ソティアヴィ氏は1940年12月8日にカンボジアのタケオ州で生まれた。男性として生を受けたが、小さい頃から自分を女性のように感じていた。学校を卒業した後は、看護師としてカンボジアの軍隊に勤務した。しかし、極端な共産主義思想を掲げたポル・ポト政権時代、LGBTとセックスワーカーはポル・ポト派による厳しい迫害行為の標的とされた。ソティアヴィ氏自身も暴行や拷問を受け、女性との結婚を強要され、一時軍隊を離れることを余儀なくされた。この間、ポル・ポト派による大虐殺の犠牲となった人たちの中には、ソティアヴィ氏の家族やLGBTの友人も数多く含まれていたという。
1979年にポル・ポト政権が崩壊した後、ソティアヴィ氏は軍の看護師としての仕事を再開。1985年からはカンボジア国内機関のHIV・エイズの啓発活動に参加し、LGBTとセックスワーカーの人権擁護活動にかかわり始めた。1990年代、世界を二分した冷戦は終わり、新しい時代の幕開けとともに、より自由で平等なLGBTの理解が国際社会で広がるなか、ソティアヴィ氏は保守的な風土の強いカンボジアで、LGBTの人権問題にもっと注目する必要性を感じた。そして1999年、LGBTを支援する国内初のNGOとなるCambodian Network for Men Women Development (CMWD)を設立した。
CMWDは、地方での教育プログラムやアドボカシーのためのサポートを提供したり、LGBTの権利活動家を育てるための研修を行ったりするなど、LGBTのグループが必要とする能力を身に付ける機会を提供してきた。こうした活動を通して、カンボジアのLGBTグループのネットワークを徐々に拡大していった。
■差別反対運動に関心もってほしい
「私の願いは、権力による暴力に直面しているカンボジアのLGBTのコミュニティを、世界中のLGBTの人々がサポートするようになることです。私はLGBTの権利が、LGBTではない人々の権利と同等になるまで活動を続けます」(ソティアヴィ氏)
デイビッド·カト ビジョン&ボイス賞は、困難な状況と政策的支援のない環境で、LGBTの権利を守るために卓越した勇気とリーダーシップを発揮した個人に毎年授与される。故デイビッド・カト氏はウガンダのLGBT活動家として知られ、2011年1月26日にウガンダの首都カンパラの自宅で殺害された。彼のLGBT人権擁護活動の功績を記念して設立されたのがビジョン&ボイス賞で、受賞者には1万ドル(約100万円)の助成金が贈られる。
ソティアヴィ氏は「この賞は、私の組織を強くし、いつの日かカンボジアのLGBTの人々の権利を向上させることにつながっていくでしょう」と受賞の喜びを語った。これまでソティアヴィ氏とCMWDの取り組みが国際的な注目を浴びたことはなかったが、今回の受賞をきっかけに、より多くの人がカンボジアと世界のLGBTに対する差別反対運動に関心を持ち、より積極的に活動に参加するようになることをソティアヴィ氏は期待している。(石岡未和)