ウガンダ中西部に、南スーダンなどから逃れた人たちが暮らす「キリヤンドンゴ難民居住地」がある。ウガンダ政府はそこで難民に、居住・耕作のための土地を割り当てるなどして「難民の自立」を目指してきた。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も「難民受け入れのモデルケース」としてこの取り組みを評価する。だが東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターの村橋勲特任研究員は「成功例と言えるかは微妙だ」と疑問を投げかける。
■元は大統領の土地だった
キリヤンドンゴ難民居住地ができたのは、いまから30年前の1990年。イディ・アミン元大統領が保有していた牧場をウガンダ政府が接収し、難民を受け入れる土地とした。土地の所有権はウガンダ政府。総面積は3725ヘクタール(東京ドームおよそ810個分)と広大だ。
キリヤンドンゴ難民居住地で暮らすのは、南スーダン人が90%を占める。残りの10%はケニア、コンゴ民主共和国、ルワンダ、ブルンジから来た人たちだ。UNHCRによると、2016年3月時点でその数は難民、庇護申請者あわせて5万4000人にのぼる(村橋氏はもっと少ないとみる)。女性と18歳未満の子どもの比率は84%だ。
ウガンダには、キリヤンドンゴを含め、18の難民居住地がある。難民支援政策を統括するのはウガンダ政府とUNHCR。ウガンダ政府は難民に対し、家を建て、畑を耕すための土地を割り当てる。土地の広さは1世帯当たり900平方メートル(50メートルプール1つ分より小さい)。収穫する作物を食べ、余りを売るなどして、すべての難民が自活できることを目指す。
難民は、土地だけではなく、国連世界食糧計画(WFP)から食料または現金を受け取る。ウガンダ政府とUNHCRの狙いは、難民が難民居住地で自立し、最終的にWFPからの食料援助を受け取らなくなることだ。
■難民「自立はできない」
難民居住地では、自立できる難民と困窮する難民に分かれるという。村橋氏は「資産をもつ難民が勝ち残り、自立(成功)できる」と言い切る。資産をもつ難民とは、海外に住む親族から送金してもらったり、居住地に避難する前に稼いだお金を使ってビジネスをうまく回していたりする人たちだ。
キリヤンドンゴ難民居住地に住む難民の多くは自立にほど遠いのが現状だ。家族で食べる食料はあったとしても、子どもの教育費や医療費もまかなう必要がある。わずか900平方メートルの土地で自立できる、と考える難民は多くないという。
村橋氏は以前、キリヤンドンゴ難民居住地で暮らす南スーダン出身のアチョリ人の母親に、難民居住地で自立できるか、と質問したことがある。返ってきた答えは「自立できた人は海外送金してもらっている人だけ、という言葉だった」。
「UNHCRや地元のNGOは、自立に成功した数少ない難民を積極的に見つけ、話を聞きに行く。キリヤンドンゴ難民居住地では難民の自立が達成されつつある、とウガンダ政府やUNHCRは考えているようだ」(村橋氏)
村橋氏の知り合いのひとりは、自立できた難民として、UNHCRの訪問を受けたことがある。この男性はウガンダに避難する前、南スーダンで薬局を経営していた。そこで稼いだお金をキリヤンドンゴ難民居住地に持ってきた。そのお金で、難民居住地でまだ使われていない土地を買った。
この男性が購入した土地の広さは200ヘクタール(東京ドームおよそ42個分)。0.5ヘクタールは自分の土地として使い、余りは彼と同じ南スーダン出身のモル人の難民に分け与えた。彼が実際に利用する土地は、ほかの難民の約6.5倍と広い。
男性は2020年2月、難民居住地に家族を残し、ひとりで南スーダンに戻った。首都ジュバでヘルスワーカーとして働きながら、家族に送金しているという。妻は難民居住地で小物入れなどのグッズや子ども服を作って売る。夫婦の収入に支えられ、5人の子どもは全員、ウガンダ国内にある宿舎つきの小学校に通う。
村橋氏は「この家族が、比較的高い教育費を払えるほどの自立した生活ができるのは、夫が南スーダンで働き、妻が居住地で稼ぐダブルの収入があるからだ」と説明する。