- 2021/05/30
シマ棒
シマ棒。それはザンビアの主食シマを作るのに欠かせない木のヘラだ。先は平べったく、持つ部分は握りやすい扁平した棒になっている。長さはちょうど、肘から指先までくらい。とても頑丈で日本で炒め物によく使う竹製や木製のヘラよりずっしりと重い。
シマ棒の一番重要な役割は、スムーズなシマををねりあげること。そのため、シマ棒はとても頑丈にできている。
シマ作り。傍目には難しそうに見えない。少量の水であらかじめといたメイズの粉を沸騰したお湯に投入。その後時折かき混有権者にながら沸騰させる。マグマのようにボコボコと沸いてきたら、そのおかゆ状のシマに少しずつメイズの粉をたし、ダマにならないようにかき混ぜ、ねる。
粉をたすにつれ、水っぽさがなくなり団子のようなる。こうなると、混ぜるだけでも大変力がいる。仕上げの段階では、鍋の側面でダマを潰すように、何回も鍋肌にシマをなすりつけ、ねり上げていく。蓋をして蒸らすのは最後の仕上げ。ようやく完成だ。
シマの作り方を丁寧に書いてみたが、恥ずかしい話、未だにうまくつくれない。自分ではじめから終わりまでつくったことは数える程。経験が圧倒的に足りないのだ。
シマはもっぱら外で食べるものだった。
言い訳はたくさんある。
協力隊の2年間、コメに困ることがなく、シマを家でつくらなくてもよかった。協力隊の赴任地はコメどころ。日本政府が供与した灌漑施設でコメを作ってもらい消費してもらうことが私の仕事でもあった。ザンビア人にも人気のスパ米や日本人向けにつくっていたコシヒカリを買うことができ、毎日コメにありつけていた。
1人分のシマをつくるのは難しいように思えたこともシマづくりから遠のいた理由だ。ある程度量をつくらないと鍋の中で練り上げられないため、つくったが最後。1人では食べきれない量を抱えるはめに。また、鍋に相当量のシマがこびりつくのももったいないような気持ちにさせられた。
家族が増えてもシマが食卓に上がることはなかった。夫も娘もシマを好んで食べなかった。最後に仲間入りした息子は、私に似てシマ好き。それでも、シマを家で作ることはなかった。シマが食べたくなれば、息子の学校帰りに連れ立ってシマ屋にいくか、住んでるアパートのお手伝いさんたちが食べる昼食のシマを分けてもらった。
何よりも外で食べるシマは格別だった。自分でつくるシマはイマイチだった。完成の見極めが今でもできない。胸を張って食卓に出せる自信はひとかけらもないままだ。何年住んでいたというのだ。お恥ずかしい話である。
ザンビアにいる間に、シマ棒を本来の意味で使いこなすことはできなかった。炒め物などでシマ棒を使う度に不甲斐無さがこみ上げる。「本当に努力したのか」と。
今できること、今やれることをコツコツとやることでしか技は磨けない。シマ棒は、「逃げずに頑張っているか?」と私に問いかけ続ける。
(サポーター/佐々木 弘子)
*ganasサポーターズクラブのエッセーの会では、エッセーの書き方を学んだりフィードバックしあったり、テーマについてディスカッションしたりして、楽しくライティングをスキルアップしています。
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