1950年代のチベットがわかる! 伝説の本「ナクツァン少年の喜びと悲しみ」が日本語で出版

チベットの民族衣装チュバとカウボーイ風の帽子を身にまとう、「ナクツァン少年の喜びと悲しみ」の著者ナクツァン・ヌロ氏。ナクツァン氏の右目は、幼いころに友人との雪遊び中に失明したため白くなっている。本を和訳した棚瀬慈郎氏は2018年と2019年の2回、甘粛省でナクツァン氏と対面した(写真提供:棚瀬慈郎氏)

中国内陸部の青海省に住むチベット人なら誰もが知る一冊の本がある。「ナクツァン少年の喜びと悲しみ」だ。2020年11月に出た日本語版の翻訳者で、チベット地域を研究する滋賀県立大学の棚瀬慈郎教授は「1950年代のチベット社会を少年の目線で書いた唯一の本。読む以上に残す価値がある」と話す。2021年5月には中国政府軍(人民解放軍)がチベット自治区ラサを制圧して70年が経った。

書かれていることは真実だ

ナクツァン少年とは、この本の書き手で、チベット遊牧民の家庭に生まれたナクツァン・ヌロ氏(74)のこと。青海省玉樹チベット族自治州チュマル県の人民法院副院長や副県長を歴任したのち、2007年にチベット語で書いた初の著書を自費出版した。

とはいえ、この本はナクツァン氏の自伝でも小説でもない。1950年代を生きたすべてのチベット人が経験した事実を描くテスティモニオ(証言文学)だ。本の意義を棚瀬氏はこう考える。

「この本は、『僧侶や貴族による封建制度からの解放』や『近代化への進歩』という名目でチベット人を締めつけてきた中国政府に異議を申し立てている。本が出た2007年より前まで、中国国内に住むチベットの一般市民は沈黙を強いられてきた」

青海省に住むチベット人読者の多くが、ナクツァン氏と同年代の高齢者たち。「本に書かれていることは真実だ、と涙を流すほど熱狂的な人もいる」と棚瀬氏は明かす。文字が読めないチベット人は、読み聞かせをせがむほどだ。

この本が青海省で2007年にブームとなった背景には、2008年のチベット騒乱(チベット独立を求める僧侶や市民と治安部隊が衝突した暴動)の直前だったこともある。棚瀬氏によると、当時の胡錦涛政権はこれまでの過ちを認めた時期。チベットで大飢饉を引き起こした1958年からの大躍進政策を「行き過ぎたもの」と評価したという。

騒乱から13年経ったいま、中国政府への警戒が強まるためかナクツァン氏の本は手に入りづらい。2019年に棚瀬氏が見たのは、青海省に接する甘粛省の甘南チベット族自治州にある書店1店舗のみ。青海省でもともと出回っていた海賊版さえ見かけなくなったと明かす。

チベット人の魂を鎮めたい

ナクツァン氏の本以外にも、チベット人が自ら民族史を書いた小説とインタビュー集がかつては存在した。ただ、中国政府への批判にあたるとして、どちらも出版後に著者は逮捕、発行は禁止になったという。

ナクツァン氏が逮捕や禁書を免れたことについて棚瀬氏は「少年目線」という特徴を挙げる。

「嘘は言うまでもなく、中国政府を極端に批判する誇張表現もない。ナクツァン氏の故郷(今の甘粛省)に人民解放軍が進駐した場面は『チベット人に優しかった人民解放軍はなぜ突然変わってしまったの?』という具合」(棚瀬氏)

それでもナクツァン氏には、チベット社会が忘れ去られる強い危機感があった。棚瀬氏は「ナクツァン氏が本を書いたのは、自分の記憶をチベットの後世に伝えるため。書き残すことで、命を落としたチベット人の魂を鎮められると考えたのではないか」と推測する。

チベット遊牧民が使う黒テント。ナクツァン氏はチベット遊牧民の家庭に生まれた(写真提供:棚瀬慈郎氏)

チベット遊牧民が使う黒テント。ナクツァン氏はチベット遊牧民の家庭に生まれた(写真提供:棚瀬慈郎氏)

日本語版の「ナクツァン少年の喜びと悲しみ」(邦題「ナクツァン あるチベット人少年の真実の物語」)。本の帯には、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世からのコメントも入っている

日本語版の「ナクツァン少年の喜びと悲しみ」(邦題「ナクツァン あるチベット人少年の真実の物語」)。本の帯には、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世からのコメントも入っている

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