【ルポ・ミャンマーからの逃亡者を追う②】薬とビニールシートを持って難民に会いに行ったら‥‥

ミャンマーと国境を接するタイ側の町メーソットでミャンマー難民を支援する団体「ボーダー・エマージェンシー・ファンド(BEF)」のスタッフとして働くジェームス。ミャンマー北西部のチン州出身のクリスチャン。いつも冗談を飛ばす彼が私の取材を助けてくれた

ミャンマーで軍事クーデターが起きて1年あまり。ganas記者が、多くのミャンマー人が逃れたタイ側の町メーソットを潜入取材しました。「ルポ・ミャンマーからの逃亡者を追う」の第2回(第1回はこちら)。ミャンマー難民は今、どんな生活をしているのか。

地元NGOのスタッフと合流

「グッドモーニング!」

日焼けした男性がピックアップトラックの窓から手を振る。メーソットのホテルで待っていた私は助手席に乗り込み、この男性と握手をした。

彼の名前はジェームス。ミャンマー最大の都市ヤンゴン出身のミャンマー人だ。名前からも分かる通り、彼は生粋のクリスチャン。父親がミャンマー北西部チン州出身のクリスチャンで、ジェームスも小さいころからイエスの教えを受けて育ったという。

ジェームスは現在、スポーツ関連のNGOで働く傍ら、「ボーダー・エマージェンシー・ファンド(BEF)」という救援団体にも所属し、ミャンマー難民の支援をしている。私は今日、このBEFの活動に同行することになっていた。

BEFはもともと、コロナ禍で生活に苦しむミャンマー人をサポートするために設立された。だが今は、ミャンマー国軍の空爆により家を失ったミャンマー人を助けるため、食料や毛布などの生活必需品を毎日寄付しているのだ。ミャンマー国軍は2021年12月、タイとの国境に近いミャンマー側の町レイケイコーを空爆。何千のミャンマー人が国境を越え、タイ側の町メーソットの近郊に避難していた。

今回の取材の表向きの目的は、現地のNGOの活動を取材すること。だがその裏には、ミャンマー難民に会って空爆当時の状況や現在の生活について話を聞きたいとの思いがあった。

ではなぜBEFに同行する形をとったかというと、ミャンマー難民が身を寄せる避難所に入るのが難しいからだ。タイ政府は、避難所につながる道に検問所を設置し、中に入る人数を制限している。ミャンマー国軍との関係を重視してか、それともただ難民保護に後ろ向きなだけか、理由はよくわからない。ただタイ政府は難民を受け入れていることを表立っては公言していない。

避難所に入れるのは、一部のNGOや教会系の慈善団体だけ。そこで私は、フィクサーであるブワイ(カレン族のミャンマー人)にお願いをして、BEFで働くジェームスを紹介してもらったのだ。

前日に会ったB(メーソットで家具屋を営むイスラム教徒のビルマ人)の話によると、多くの難民はメーソットから南に数十キロ離れたメーコーケンというところに避難しているという。私は確認のため、難民が今もメーコーケンにいるのかジェームスに尋ねた。

するとジェームスからこんな答えが返ってきた。

「メーコーケンには今、難民はほとんどいない。みんなタイ政府に追い出され、仕方なくメーコーケンからモエイ川をはさんで対岸(ミャンマー側)の川辺で野宿生活をしている。俺たちは毎回、メーコーケン側の川岸に支援物資をおいて、彼らにそれを取りに来てもらっているのさ」

そうなると彼らに会って話を聞くのは難しそうだ。だがBEFについていけば、物資を手渡す現場に立ち会えるかもしれない。私はそう期待しながら、ジェームスと一緒にホテルを出発した。

1 2 3 4