およそ2年前に軍事クーデターが起きて以降、ミャンマー国軍は民主化への回帰を求めるデモ隊への弾圧を強めていく。だがミャンマー料理研究家の保芦ヒロスケさん(52)は「命を懸けて国軍に抵抗する友だちを見て見ぬふりはできなかい」とデモに参加し続けた。連載「闘うカレー活動家・保芦ヒロスケさん」の第2回。(第1回はこちら)
携帯から電波消える
2021年2月1日の朝、保芦さんはヤンゴンに借りていたアパートの屋上でお祈りをしていた。ここはミャンマー最大の仏塔「シュエダゴンパゴダ」から目と鼻の先。保芦さんは毎朝6時ごろ、シュエダゴンパゴダに向かってお祈りするのが日課だった。
保芦さんはこの日、ヤンゴンの中心部から車で1時間ほどかかるダゴンセイカン地区にある寺に行って、子どもたちに日本のカレーをふるまう予定だった。日本在住のミャンマー人であるウィンチョウさん、マティダさん夫婦から依頼されたからだ。
早朝のお祈りが終わって部屋に戻ろうとした時、携帯電話が鳴った。相手はウィンチョウ夫婦だった。
「カレー作りはやめにしよう。ミャンマー国軍が今日、クーデターを起こしたんだ」
ミャンマー国軍は2月1日未明、アウンサンスーチー氏、ウィンミン大統領、両氏が所属する与党・国民民主連盟(NLD)の幹部らを拘束。国軍トップのミンアウンフライン総司令官が立法、行政、司法の全権を掌握した。
保芦さんはただごとではないと思った半面、クーデターの深刻さをいまひとつ理解していなかった。
「昨日もダゴンセイカンに行って準備をしてきた。今さらやめられないよ」
保芦さんはこう言って、日本人とミャンマー人の友人らとダゴンセイカンの寺に車で向かった。
移動中、友人の携帯電話に電波が入らなくなった。ほどなくして保芦さんの携帯電話も。車の外を見ると、携帯電話を空に掲げて電波をキャッチしようとするミャンマー人の姿が。いつもと違う。クーデターのせいか。保芦さんは少し不安を覚え始めた。
1番幸せで1番不幸な日
保芦さんたちが寺に着くと、カレー作りを手伝ってくれることになっていた地元の人たちはびっくり。クーデターでカレーのイベントは中止だと信じ込んでいたからだ。近所の子どもはだれも来ていない。だがわざわざヤンゴン中心部からカレーを作りに来てくれた保芦さんのために、地元の人たちはひとりひとりの家を訪ね、子どもたちを集めてくれた。
保芦さんは肉に下味をつけるなど、ミャンマーの人の味覚にも合うよう丹精込めて日本のカレーを作った。子どもたちは初めて食べるカレーに笑顔を見せてくれたという。
イベントの最後に子どもたちへのメッセージを求められた保芦さんは、自分の経験を踏まえてこう話した。
「私はカレーが好きで、毎日カレーを食べています。そしてミャンマー料理研究家になりました。皆さんも好きなことを毎日続けてください。そうすれば夢はかないます」
だが保芦さんは今、この時に発した言葉を後悔する。
「自分はなんてひどいことを言ってしまったのか。好きなことをする自由を奪われたその日に、子どもたちに毎日好きなことをしろだなんて」
2021年2月1日は、保芦さんにとって、日本のカレーをふるまい、子どもたちに喜んでもらったミャンマーで一番幸せな日。と同時に、クーデターが起きてミャンマー人の自由が奪われた最も不幸な日となった。